2年後に帰郷。20代の決断
【&w連載】東京の台所2
〈住人プロフィール〉 28歳(会社員・女性) 賃貸マンション・1LDK・山手線 代々木駅・渋谷区 入居3年・築年数約20年・夫(会社員・27歳)との2人暮らし 【画像】もっと写真を見る(23枚) 早く島根を出たい、便利な都会に行きたいと願っていた。大学に進んだら故郷には戻らない、と。 いざ大阪に進学すると、友達にたびたび言われた。 「島根ってどこ」 「妖怪の道があるところ?」 それは鳥取だと答えながら、愕然(がくぜん)とする。必死に故郷の良さを説明していくうちに、やがて気づいた。──私、島根が好きだ。 「出西窯(しゅっさいがま)のある街で育ち、夕ごはんはいわしにとびうお、地元で採れた魚が食卓に並ぶ。お米も野菜も果物もおいしくて、季節の移ろいがすぐそばにある。海、山、湖といった自然に囲まれ、神話や歴史、伝統文化が根強く残る。文化も歴史も深い。自分のアイデンティティーは島根で形作られていたのだと、離れて気づきました」 大学4年の夏、地元で若手県人会に参加したのを機に、大阪でも県人会を立ち上げた。実家を離れてむしろ、どんどん島根の友だちが増えていく。東京の大学で学んでいた夫とも、県人会で出会った。 「彼も私も、ゆくゆくは島根で働きたいと早い段階から考えていました。でも新卒で帰るのと、一度東京で経験を積んでから帰るのと、どちらが自分にとってのキャリアの価値が高まるか。一度は東京に行ってみたいという気持ちもありましたし、ファーストキャリアで人脈を築いた後に帰郷したひと回り上の先輩を見ていたので、よし、20代は東京で頑張ろうと」 職場に近い五反田のワンルームでひとり暮らしをスタートさせたものの、暗くて狭い。料理好きなので、ふた口コンロの台所だけは死守したが、陽が入らないのには閉口した。 赤坂で暮らしていた彼と、互いの会社の家賃補助の数字を付き合わせる。ひとり暮らしと同じ負担で、都心にもう少し広いマンションを借りられることがわかった。 「ふたりとも帰郷というヴィジョンがあります。私はIT系企業の入社時から公言しているほど。どうせ期間限定なら、東京暮らしをふたりでとことん楽しもうと思い切りました」 社会人2年目の春、代々木の1LDKで同棲(どうせい)を始めた。 山手線代々木駅が最寄りという20代カップルは、連載11年で初めてだが、聞くほどに、地に足のついた確かな生活ぶりが窺(うかが)え、興味深く思った。