信長・秀吉・家康も『源氏物語』を読んでいた!? 戦国大名も憧れていた宮廷文化
大河ドラマ『光る君へ』で注目される『源氏物語』。日本を代表する古典だが、その後の日本人にはどのように読まれたのだろうか。著述家の古川順弘氏が、戦国時代の織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の三英傑に着目し、彼らと『源氏物語』の関係を解説する。 【写真】紫式部が生きた平安時代の寝殿造庭園を再現した公園 ※本稿は、古川順弘著『紫式部と源氏物語の謎55』(PHP文庫)より、内容を一部抜粋・編集したものです
信長が謙信に贈った「源氏物語屛風」
京都市中と郊外の名所・風俗を描く「洛中洛外図」の最高傑作とされる狩野永徳画「上杉本洛中洛外図屛風」(国宝)は、天正2年(1574)に織田信長から上杉謙信へ贈られたものとしてよく知られている。前年に将軍足利義昭を京都から追放して室町幕府を倒していた信長は、越後の謙信とは一時的に同盟を結んでいたので、その証しとして豪華な屛風をプレゼントしたのだろう。 あまり知られていないが、上杉家の記録によると、このとき「洛中洛外図屛風」とあわせて「源氏物語屛風」も贈られていた(三田村雅子『記憶の中の源氏物語』)。その「源氏物語屛風」の現存は確認されていないが、やはり狩野永徳によるもので、非常に美麗なものだったという。 八条宮家旧蔵の伝狩野永徳画「源氏物語図屛風」(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)をこの屛風にあてる説があるが、同図では、左隻に「若紫」巻の場面が、右隻に「蜻蛉」「常夏」の各巻などの場面が描かれている。ちなみに、永徳は安土城や大坂城、聚楽第などの障壁画も描いた、狩野派の名絵師である。 信長が『源氏物語』をどれだけ読んでいたかは不明だが、戦国大名たちもまた雅やかな宮廷文化に憧憬を抱いていたことを示すエピソードである。それとも、すでに都を押さえていた信長は、ライバルでもあった謙信にそのことを暗に誇示するために、都を象徴する二双の屛風を送りつけたのだろうか。 しかし、信長・謙信の同盟は2年後の天正4年(1576)には早くも無実化し、両者は戦を交えることになった。