なぜ消えた?スバル「レガシィ」に続いて、トヨタ「スープラ」も生産終了確定…いまこそ問われる自動車メーカーのブランド戦略
自動車の開発では、時代変化の中で、新シリーズが生まれる。その一方、その使命を終えるシリーズもあるのは仕方のないことだ。ただし、ブランド戦略という観点では、モデルの改廃には細心の注意が必要なはずだ。スバルとトヨタ自動車が、有力モデルの消滅を決めた理由と代償とは。(ジャーナリスト 桃田健史) 【この記事の画像を見る】 ● 突然のレガシィ消滅で スバルファンに衝撃!? ついに、「レガシィ」の名が日本から完全に消える。 SUBARU(以下、スバル)は10月24日、「レガシィ アウトバック」の特別仕様車「30th Anniversary」を公開した。併せて、日本市場向けレガシィ アウトバックは2025年3月末までの受注をもって終了する予定であることを明らかにした。 これを受けて、「レガシィ36年の歴史に幕」といったニュースがネット上で広まった。 時系列で見れば、日本市場におけるレガシィは「ツーリングワゴン」が14年6月に、またセダンの「B4」が20年7月にそれぞれ生産中止となっている。 その後、レガシィの名が最後まで残っていたアウトバックだが、一般的には「アウトバック」と呼ばれることが少なくなかった。 それでも今回、レガシィの名が日本から消えるとなると、長年にわたりスバルを愛好してきたユーザーや、スバルに限らないクルマ好き、さらにはいわゆる「生活四駆」としてスバルを乗用してきた降雪地域の人たちからの「レガシィを惜しむ声」が、関連ニュースのコメント欄で数多く見受けられる。 では、なぜスバルがレガシィブランドを消すことになったのだろうか。
● 大胆なアメリカシフトと 日本市場特化型レヴォーグ導入の合わせ技 端的にいえば、日本市場におけるスバルのラインアップが、SUVの「フォレスター」と「クロストレック」さらに、日本市場に特化して開発された「レヴォーグ」を中心に、定着しているからだ。スバル関係者もそうした見解を示す。 確かに、日本市場でのスバルのラインアップは過去と比べると安定期に見える。 だが、ここまでたどり着くには、レガシィに頼り過ぎた商品戦略の見直しがあった。 時計の針を少し戻すと、1990年代から00年代にかけて、レガシィはステーションワゴンというカテゴリーを確立して人気車種の仲間入りを果たした。 また、B4も水平対向エンジンのセダンという特殊性によって、チューニングカーブームも相まって根強い人気を得た。 「スバル=レガシィ」というイメージが日本で定着したのはこの頃だ。 ところが、その後は10年代にかけて、レガシィの商品イメージが大きく変わった。スバルがビジネスの主戦場を大きく米国にシフトしたからだ。 そうした中で、事実上のレガシィツーリングワゴン代替モデルとして考案されたのが、レヴォーグだ。 13年に東京モーターショーでワールドプレミアされたが、多くのスバルファンが「レガシィツーリングワゴン復活」という見方でレヴォーグを快く受け入れたことを思い出す。 このように、スバルとしては台数を稼ぐレガシィを北米主体モデルとして位置付ける一方、日本向けにはレヴォーグを導入し、それまでレガシィがカバーしてきた商品領域を日米で切り離す戦略に出たのだ。 それからさらに10年ほどが経過した今、スバルは次世代に向けて大きな変革期を迎えている。 スバルは23年8月、「新経営体制における方針」を発表。その中で、30年の電動車販売比率・台数を、従来のハイブリッド車(HV)とBEV(電気自動車)で全体の40%としていたものを、全世界販売台数目標120万台以上としたうえで、その50%に当たる60万台をBEVにするとの意欲的な計画を示した。 モデルラインアップとしては、HVとBEVを26年までに4車種、また28年末までにさらに4車種を投入するとした。 また、24年5月に公表した「新経営体制における方針 アップデート」では、26年末に向けて開発中の4つのBEV(SOLTERRA改良含む)は、トヨタとの共同開発を進めていることも明らかにしている。 こうしたトヨタとの協業において、スバルとしてはモデルラインアップの見直しが必然となっている状況だ。 その中で、結果的にレガシィの出番はなくなってしまったといえるだろう。