イギリスの「難民移送」が意味するものとは? 現代国家における「排除」と「統制」の論理
民主主義国は権威主義国を批判できるか
19世紀、イギリスは世界に先駆けて産業革命を達成し、資本主義と帝国主義を拡大し、ヴィクトリア女王の君臨する大英帝国は、七つの海を支配するといわれた。同時に、ディズレーリ(保守党)とグラッドストーン(自由党)の論戦に象徴されるように議会制民主主義のモデルとなった。 明治日本にとっても最大の目標であったが、そのイギリスにも、初期資本主義の労働者酷使、煤煙による都市環境の悪化という問題はあった。ロンドンに約2年間留学した夏目漱石は、日本から見る理想像と北の国の現実のギャップに苦しみ、神経衰弱におちいっている。(参照・拙著『漱石まちをゆく-建築家になろうとした作家』彰国社2002刊) それでもイギリスは、徐々にこれらの問題を克服し「ゆりかごから墓場まで」の標語で知られる高度な福祉体制を築き上げた。いわば世界がうらやむ先進的な国であったのだ。近年は「英国病」と呼ばれる長期的な経済停滞によって、資本主義国のリーダーの地位をアメリカにゆずったものの、現在でも、カナダやオーストラリアなど英連邦に加盟する国は多く、アメリカやインドを含めてイギリス文化を受け継いでいる国は非常に多い。世界の共通語はほぼ英語であり、公用の服装はロンドンのサビルローという通りの名からくる背広である。 中国やロシアやイランなどを権威主義の国として批判するいわゆる西側の、政治的、経済的、軍事的リーダーはもちろんアメリカであるが、文化的リーダーはイギリスであるともいえよう。 そのイギリスが、命懸けで自国に入ろうとする人々を排除するということは、世界が理想としてきた人権主義に逆行する一歩を踏み出したということではないか。それは前回書いた「普遍性の崩れ」の一歩でもある。果たして、自由、民主、法の支配を標榜する西側諸国は、権威主義の国を批判できるのだろうか。
海洋型 vs 内陸型、交換原理 vs 統制原理、排除型 vs 統制型
これまで僕は、いわゆる西側の国々と、権威主義の国々とに、世界が分かれる原因について「海洋型の国 vs 内陸型の国」という風土的な要因、そしてそれに関連して「交換原理の国 vs 統制原理の国」という社会的な要因について書いてきた。 西欧、アメリカ、日本などは、基本的に海を介して外国と接する海洋型の国であり、ロシア、中国、イランなどは基本的に外国と陸続きの内陸型の国である。海洋型の国は、国境がほぼ確定しており、海という厳しい自然条件を介して他国との共同性と交換性(貿易、条約、情報と能力の交換など)が成立しやすい。内陸型の国は、国境におけるせめぎあいを避けられず、防御力と拡大力のバランスによって国境が定まる傾向にあり、その結果、異民族・異文化が混在する地域を抱え、強い統制力によって国家体制を維持する必要がある、と考えたのだ。 そして今、イギリスほか欧米の現状を見て、「排除」という現象に光を当て「排除型の国 vs 統制型の国」という図式も成り立つような気がする。「統制」という言葉に対する「交換」という言葉には身贔屓があったかもしれない。 イギリスは日本と同様「ユーラシアの帯(高度な建築様式の分布が集中する昔からの文明交流地域)」の端に位置し、四周を海に囲まれた天然の要害である。海を介して他国を侵略することは多いが、自国の内部に攻め込まれることは滅多にない。逆にいえば、異民族・異文化に対する免疫が弱いともいえる。 そこに「排除」の論理がはたらく。 またイギリスは福祉の国であり、紳士(ジェントルマン)の国であるとされる。海に囲まれた島の内部において「福祉と紳士」の社会を守るには、好ましからざる侵入者を排除せざるをえないのだ。スウェーデンやノルウェーなどにも同様の傾向が見られるが、同じ北欧でも、デンマークは大陸につながる分、かなりオープンであり、フィンランドやバルト三国は、難民よりもロシアからのプレッシャーという別の論理を抱えている。