イギリスの「難民移送」が意味するものとは? 現代国家における「排除」と「統制」の論理
民主と福祉は排除を、拡大と包含は統制をともなう?
現在、ヨーロッパ大陸の先進国はどこも、イギリスに準ずる難民問題を抱え、右寄りのすなわち民族主義的政党が躍進している。混迷する世界情勢において、西側の国は「排除」に傾きがちで、権威主義の国は「統制」に傾きがちなのだ。 「民主と福祉は排除をともない、拡大と包含は統制をともなう」といえないだろうか。 民主主義は、その国民が自己の所属する小集団の利害ではなくより公的な社会の利害を優先し、それを実現する代表者を選出する能力を有することを前提とする。また高度な福祉は、それを受ける国民の資格を厳重に管理することが必要だ。そこに排除の論理が現れる。逆に国土と国力を拡大し、異民族・異文化を包摂しようとする国は、国境に防御力と拡大力をはたらかせ、その異民族・異文化を強く統制する必要がある。 本論の主旨は、イギリスや西欧各国に対する批判ではない。国連の人権主義が正しいと主張するのでもない。人間の集団というものがもつ属性について論じているのだ。 哀しいことだが、人間の集団には「排除の論理」と「統制の論理」がはたらくものである。 現在の世界において、完全なる人権主義は成立しにくいようだ。いざとなればどの国も「排除の論理」か「統制の論理」かの選択を迫られる。しかし一方で今、世界(西側)の若者に、パレスティナを支持する声が上がっているという。これがどこまで広がるか、どこまで有効か分からないが、注目には値する。 僕がブライトンにいたとき、パレスティナ側に立つ日本赤軍によるロッド空港の(イスラエル)銃乱射事件が起きた。あのころ、若者たちの異議申し立てはテロに近づいていたのだ。 マリエンパレードに打ち寄せる波は、今もそうとうに荒いのだろう。