NYで14年の公演に終止符「スリープ・ノー・モア」とは何だったか…最終日まで通い詰めた日本人評者の総括
演者と観客がコミュニケーションをとる
この14年弱の間、未経験の方にSNMを紹介すると、イマーシブと言われてもどうも腑に落ちない、通常の劇場で客席に座って舞台を見ている観客も芝居に没頭しているではないか、としばしば質問を受けた。 確かに、セットの中に演者も観客もいて、演者が演じるのを観客が横にいて座って見るタイプのイマーシブ・シアターでは、至近距離で演技を見るので迫力はあるものの、没頭という点では通常の演劇と本質的には変わらないかもしれない。 しかし、SNMでは、観客はどのシーンを見るか、どの演者を追うかを、観客が自ら決める。観客が座っていれば芝居を見ることができる通常の演劇と異なり、SNMでは自分から動かなかったら何も得られない。 Courtesy ofSleep No More マッキトリック・ホテル(The McKittrick Hotel)を訪ねる度に、今日はマクダフ夫人に集中しよう、前回と違うキャストがポーターを演じているから演技がどう異なるかを見てみよう、あるいは最初から最後まで4階にいてみよう、などなど、様々なアイディアを試していくにつれ観客は成長していき、その人独自の追い方ができてくる。 特に、筆者がSNMで学んだのは、ノンバーバルでも演者とコミュニケーションを取れるということだった。初体験は、右往左往して、ただ強烈な刺激を受けて終わりだった。それが、通い続けるにつれ徐々に勝手が分かり、いつ誰がどの部屋で何をしているかが段々と把握できてくる。その時期を過ぎると、自分が演者とどの程度の距離を置いて立ち、どんな姿勢をとり、演者とどう目線のやり取りをするかで、演者と意思の疎通ができるようになってくる。SNMのオリジナルキャストは怖いもの知らずで、観客との心理の攻防が濃密であった。一方で、ハーマンの楽曲は原初的な感情をかきたて、心理の糸をどこまでもピンと張りつめさせていく。 また、演者と観客との間には相性があり、かみあう演者を数回の公演にわたって連続して追っていくと演者との間で呼吸があい、演者はその観客だけのためのインタラクションで応えるようになる。SNMは綿密に構成された作品だが、演者が自由に演技できる余地を残してあるので、こうした濃い関係が可能になる。さらに追い続けていくと、やがてはその役の理解者になり、旅に同行している心情を抱くことも起きる。 SNMでは経験を重ねるに応じてたどり着く境地があり、こればかりは同じように経験を積んだ観客同士でないとこの境地を共有できない。筆者の経験からすると、100回の訪問を経て一応は一人前の観客である【注2】。