NYで14年の公演に終止符「スリープ・ノー・モア」とは何だったか…最終日まで通い詰めた日本人評者の総括
秘密主義からの変容
SNMを生み出したのはイギリスのパンチドランク(Punchdrunk)であるが、ボストン公演とニューヨーク公演ではアメリカ側のスタッフやキャストのアイディアが多数盛り込まれている。筆者のインタビューにスパークスは、ボストン公演のキャストとニューヨーク公演のオリジナルキャストは「天才ぞろいだった」と述べている。 やがて、ニューヨーク公演のオリジナルキャストが降板しキャストが入れ代わる時期を迎えた時、SNMのパフォーマンスのレベルは一時的に落ちた。だが、その後をついだ第2期のキャストが、時に粗削りだったオリジナルキャストの演技を洗練させ、よりシャープにさせた。2013年から2015年ごろまでがSNMの完成期にして絶頂期であった。 ショーのヒットに伴いSNMには観光客がつめかけるようになり、初期のファンの多くは徐々に去っていった。秘密主義に徹していたプロデューサーも派手に宣伝するようになっていった。初期の公式サイトはホテルの内線案内とおぼしき簡素なもので、これは本当に演劇のサイトなのか、ここからチケットを買って詐欺にあったりしないだろうかと思わせるものだった。それがサイトはリニューアルされ、ソーシャルメディアで発信しすぎるようになっていった。マッキトリック・ホテルにはルーフトップ・バーにしてレストランのギャロウ・グリーン(Gallow Green)やSNM以外のショーの上演も加わった。 その後、SNMの演技のレベルは年二回のペースでキャストが交代するたびに玉石混交になってゆき、カンパニーとして見ると少しずつ物足りなくなっていったが、筆者はこの点はあまり気にならなかった。というのは、SNMは一回の公演で全ての演者を追うことは不可能で、これはという追いたい演者が数人いればそれで十分だからである。 SNMのキャストはダンサーが多く、しかも大学を出たてで演技の経験のないダンサーがいきなり役を演じることが多い。このため、加入当初はただ体を動かしているだけで、心理の表現ができていないことが少なくない。YouTubeのCUNY(ニューヨーク市立大学)TVでアニー・リグニー(Annie Rigney)も語っているが、SNM加入当初の彼女は観客とのコミュニケーションが下手だった。それが去る頃にはマクベス夫人を見事に演じるようになった。マクベスの帰りを待ち、ランプの下で身もだえる彼女の姿は決して忘れられない。