『光る君へ』紀行コーナーに登場した中宮・彰子の大原野神社への行啓。紫式部が『源氏物語』にも描いた大原野とは
◆『源氏物語』でも描かれた大原野行幸 神社のある大原野は、小塩(おしお)山の東のふもとにあたり、皇族や貴族が狩りを楽しんだ場所でした。(ちなみに、大原野と、三千院のある大原はまったく別の場所なので、お間違えなく) 小塩山は『伊勢物語』『源氏物語』などの物語に登場するほか、在原業平や紀貫之の和歌にも詠まれています。 大原野神社も、平安時代から紅葉の名所として知られていて、藤原氏が栄えた時代には、天皇の行幸が何度も行われたとか。その行列は、王朝絵巻さながらであったと伝わります。 鷹狩のため大原野に向かう冷泉帝の大行列を、光源氏の邸宅・六条院に住む女君たちが、牛車を連ねて見物に行く(巻29「行幸」)――『源氏物語』に描かれたこの場面は、実際にあった醍醐天皇の大原野行幸をモデルにしたといわれています。 のどかな景色が広がる大原野には、宇治や嵐山などの景勝地とはまた違った趣があります。紫式部をはじめ、平安京の人々にとっても心癒される場所だったのでしょうか。紫式部のこんな歌からは、小塩山に対する格別の思い入れがうかがえます。 ここにかく 日野の杉むら うづむ雪 小塩の松に 今日やまがへる 父・藤原為時とともに越前にやってきた紫式部が、越前富士とも称される日野岳(ひのたけ)に積もる雪を見て、京の都を懐かしんで詠んだ歌。「近くに見える日野岳の杉林は雪に深く埋れんばかり。今日は都でも、小塩山の松に雪がちらちらと降っているであろうか」。そんな意味になります。 生まれ育った都を離れ、越前で迎えた初めての冬。雪国の山の姿に驚き、ふるさとの小塩山に思いを馳せる……。京都の山といえば、比叡山や愛宕山、鞍馬山、あるいは嵐山、小倉山などが歌枕としても有名ですが、このとき紫式部の頭に浮かんだのは、ほかでもない小塩山だったのです。
◆小塩山はどこにある? それほどまでに紫式部に愛された小塩山ですが、それが京都のどの山を指すのか、正直、私もよく知りませんでした。そこで、猛暑にもかかわらず、いざ大原野へ。地図上では、さほど遠くないように見えたものの、移動には思ったより時間がかかりそうです。 電車の駅から、遠足気分でバスに揺られること約20分。「南春日町」のバス停で降りると、京都市内とは思えない、穏やかな田園風景が広がっていました。 観光客はおろか、地元の人とすれ違うこともない道に、小さな不安を抱えつつ7、8分歩くと、神社の立派な鳥居が見えてきました。鳥居の脇には「紫式部 氏神のやしろ」というのぼり旗が。 鳥居に向かって左手にそびえるのが、標高642メートルの小塩山です。 小塩の山と一体化したような、緑豊かな境内。参道沿いには、先に紹介した紫式部の望郷歌「小塩の松に 今日やまがへる」ののぼり旗が何本も並び、紫式部ゆかりの神社であることを強力にアピールしています。 秋には、この参道が紅に染まるとのこと。これぞ穴場。観光地の喧騒をさけて、京の秋の風情をゆっくり楽しむには絶好の場所といえそうです。
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