なぜ遠藤エミはボートレース最高峰SGで女子初Vの歴史的快挙を成し遂げることができたのか…新時代の到来と意識の変化
寺田に続いて頂点を狙ったのが、当時の女子ナンバーワンの実力者だった横西奏恵。2006年の平和島「総理大臣杯(現在のボートレースクラシック)」、2011年の尼崎「オールスター」とSGで2度優勝戦に進出したが、ともに6着に敗れていた。 だが、彼女らの果敢な挑戦により、女子レースはファンの支持を拡大していく。「女子王座決定戦」に続き、2012年には大村で、SGに次ぐG1レースとして”女性版グランプリ”の「賞金女王決定戦」(現在の名称はクイーンズクライマックス)が初開催され、三浦永理が優勝。それとともに女子のレース体系も整備され選手の経験値や技術もアップした。 現行のルールも女子の台頭をうながした。これまでは各自が独自のプロペラを持ちこみレースが行われていたが、レース側がプロペラを用意する制度へと変更され、企業秘密的な特殊なプロペラを改良する技術が不要となった。さらに、これまで制限のなかった体重が男子52キロ以上、女子47キロ以上と定められ、女子は5キロ以上のハンデをもらえることになった。物理の法則通りに、やはり体重が軽い方がボートレースは有利となる。 あるベテランの女子選手はこう話す。 「昔は、女子に負けたくないから異常に減量する男子選手がいた。それが健康上の理由もあり、いまは体重制限が設けられた。ペラ制度も以前だとグループに入って派閥のようなものができていたが、いまの制度ではペラ以上にエンジンの方が重要になっている」 しかし、遠藤エミの快挙につながる女子選手の実力向上の真の理由は別にあると言う。 「女は足手まとい、と言われた時代からいまは舟券もよく売れ、女子が必要とされている。以前は、G1ですら呼んでもらえなかったのに、強い女子選手はSGにも出場でき、経験を積めるようになった。それに枠なりの進入が増えた。何より男子選手の女子選手に対する意識も変わって来た。見下していた時代から、ライバルと認める。リスペクトの気持ちが出てきたと思う。ひと言で言えば、時代の変化でしょう」 遠藤が初めてSGに挑戦したのが2015年の蒲郡メモリアル。そこから7年近くの歳月が流れ、今回が28回目の出場だった。この日のレース後の会見でも「今年は男子のチャレンジカップに出たいと思っていた」と話していたようにSGに対する意識はより身近なものとして考えられるようになっていたわけだ。
さらに遠藤にとって大村のコースは、2017年クイーンズクライマックスで優勝するなどした得意とする水面。今大会は、大本命と目されていた峰竜太が一連の不祥事で欠場した上、予選では、有力選手が相次いでフライングを犯し、優勝戦線から脱落したのも、追い風になった。そんな状況から「最もSG制覇に近い女子選手」といわれていた遠藤にとって、今回の結果はある意味、必然だったかもしれない。 「もっと強い選手になりたい」と遠藤。その大村では今年12月に業界の最高峰、優勝賞金1億円の「グランプリ」が初開催される。彼女の挑戦はここがゴールではない。