なぜ遠藤エミはボートレース最高峰SGで女子初Vの歴史的快挙を成し遂げることができたのか…新時代の到来と意識の変化
ボートレースは公平を期すため、エンジンは抽選で選ぶ。急上昇のエンジンとして注目されていた2連対率の高い68号機を引き当て、前検日と呼ばれるレース開催直前の試運転から「いい感触をつかんだ」という。 3月16日の初日から6戦4勝、3着以下なしで女子初のSG予選トップ通過。5日目の準優勝戦でも逃げ切り、優勝戦でもボートレースで有利とされる絶好枠の1号艇をゲットした。いわゆるポールポジション。会場によって有利、不利があるが、全国24場の中で「最もインが強い」と言われる大村での1号艇。女子レーサーであってもファンからは1番人気に支持され、快挙達成の機運は高まっていた。だが、優勝戦で、負かした相手はSG7回優勝の毒島誠(群馬)やグランプリ覇者の中島孝平(福井)らトップクラス。 「勝てたのは気持ちの面で成長があったからでしょうか。先輩、後輩からの励ましや応援にたくさんのパワーをもらいました」 遠藤はそう快挙を振り返った。 滋賀県出身。八幡商ではソフトボール部に所属し、姉に誘われて、この世界に入った。102期生として2008年5月にびわこでデビュー。その当時から思い切ったレースを売りにして、まくりを連発。その強さから映画の主人公「ワンダーウーマン」の異名をつけられていた。同時にその人柄の良さから人望も厚く、初勝利の選手を称えて、水の中へ放り投げる「水神祭」では、対戦した同期の前田将太(福岡)や支部の後輩、丸野一樹(滋賀)ら男子選手も一緒に飛び込み、日高逸子、平山智加、大山千広らトップレーサーから数多くの祝福コメントが届いた。 女子にとっては年間9レースしかないSGの制覇は、高くて分厚い壁だった。 過去44人が挑戦。最多41回出場を誇る日高逸子が贈った「女子レースの歴史を変えてくれました」という言葉がすべてを物語っている。ボートレースがここ大村で誕生したのが1952年4月。女子選手の歴史も意外と古く、その1カ月後には則次千恵子が第1号選手として登録されている。 その後は一進一退を繰り返し、やがて女子選手が一人もいなくなりそうな危機を迎えたが、1980年代に「競艇界の百恵ちゃん」こと鈴木弓子が活躍して復活。1987年からは女子レーサーの頂点を決めるレースの「女子王座決定戦」も設定された。鵜飼菜穂子を経て90年代から日高逸子、山川美由紀、寺田千恵らの強豪選手が生まれて、女子レーサーの地位を確立していく。2001年の唐津「グランドチャンピオン」では、その寺田が1号艇をゲットしてSGの優勝戦に初出場した。だが、当時は「女子に勝たせるな」という風潮が色濃く、スタートの位置取りから他選手に“前付け”という陽動作戦を仕掛けられ、寺田のスタート位置が前方にずれてダッシュの距離が短くなる“深イン”となって後手を踏み、5着に沈んだ。