沖縄で2度目、米軍基地めぐる「県民投票」とは? 坂東太郎のよく分かる時事用語
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設の是非を問う県民投票が24日、投開票されます。実は沖縄での県民投票は今回で2回目です。そこで過去の沖縄における条例による住民投票の歴史を振り返りながら住民投票とはどういう位置づけのものかを考えてみました。
正確には「辺野古埋め立て」の是非問う
今回の沖縄県民投票とは、正確には「辺野古米軍基地建設のための埋立ての賛否を問う県民投票」です。普天間飛行場の辺野古移設問題で、沿岸部にV字滑走路を造る計画(2006年に日米合意)への是非を県民に聞くのとほぼ同義。埋め立てなければ滑走路はつくれません。 県民投票の実施は、後述するように地方自治法の決まりに則って県議会が成立させた条例に基づきます。 ところが、やはり地方自治法の規定で、投票資格者名簿の調整や投開票の実施などの事務を市町村が処理する(条例13条)という点で問題が起きました。いくつかの市が事務にかかる予算の計上などを議会で否決し、首長も同調したのです。法的に国と都道府県、都道府県と市町村は対等なので、県が「やれ」とは命令できません。 そこで県政野党の自民党などが当初から主張していたものに近い「どちらでもない」を選択肢に加え、「賛成」「反対」と合わせて3択とする条例の改正案が出されて県議会で可決しました。不参加を表明した市も方針を転換し、全県が参加しての県民投票になったのです。
96年にも県民投票、97年は名護市で
普天間飛行場の移設は1995(平成7)年に発生した米兵3人による小学生女児暴行事件で県民の怒りが沸騰したのが直接のきっかけです。問答無用の悪事であり、日米両政府とも少しでも反基地感情を鎮めようと翌96年、「危険な基地」の代名詞だった普天間飛行場を全面返還することで合意しました。ただし5~7年以内に替わりの施設を沖縄県内につくるのが条件とされたのです。 ただ県民の憤りは米軍基地があるというだけではありません。女児暴行事件では沖縄県警が容疑者引き渡しを請求したのに、米国側が日米地位協定を理由に拒否した点も大きいのです。地位協定は米軍基地外であっても米兵や軍属(事務員や運転手など)が罪に問われたら、優先的な裁判権を米側が持つという治外法権にも似た条約です。 そこで、96年9月に1回目の沖縄県民投票である「日米地位協定の見直し及び基地の整理縮小に関する県民投票」が行われました。今回と同じく条例に基づく投票です。「基地の整理・縮小」と「日米地位協定見直し」に賛成か反対かを問い、89%が賛成しました。これは日本で初めての都道府県単位での住民投票でした。 移設先に米海兵隊基地キャンプ・シュワブがある辺野古地区が浮上したのも同じ96年。名護市で辺野古への移設の是非を問う市民投票条例を求める署名集めが始まりました。97年に「名護市における米軍のヘリポート基地建設の是非を問う市民投票」として実施されました。その名にあるように当時の計画は海上ヘリポート案でした。 賛否2択に難色を示した当時の名護市長は市議会に「環境対策や経済効果が期待できるので賛成」(条件付き賛成)「環境対策や経済効果が期待できないので反対」(条件付き反対)を加えるよう意見書を出しました。主に経済振興の重要性を意識したとみられます。結局この4択で投票が行われました。 結果は「反対」「条件付き反対」が54%で、「賛成」「条件付き賛成」の46%を上回りました。しかし大差とはいえず、北部地域の振興策がより魅力的と判断した市長は投開票の3日後、ヘリポート案の受け入れを自らの辞任とともに表明しました。