奈良美智ロングインタビュー(後編)。願い続けてきたPEACE、旅と場所づくり、アートよりももっと自由な人生を求めて
インタビュー後編
奈良美智はこれまでどのような思いで作品を生み出し、どんな風景を見てきたのだろうか。故郷、そして「はじまりの場所」がテーマの個展「奈良美智: The Beginning Place ここから」(10月14日~2024年2月25日)が行われている青森県立美術館でインタビューを行った。 *前編「奈良美智ロングインタビュー(前編)。自分を育んだホーム、感性のルーツ、東日本大震災という転換点を振り返って」 3時間におよんだインタビュー。その後編では、展覧会のハイライトのひとつである「No War」の部屋と平和への思い、旅や場所作り、幼少期から変わらない自由を求める気持ちなど、作家を貫く思想について話が及んだ。【Tokyo Art Beat】 ***
反戦と平和を願う部屋
──展覧会のハイライトのひとつ、「No War」の部屋は、《平和の祭壇》という名の大インスタレーションです。絵画やドローイング、彫刻だけじゃなく、自室やアトリエを模した小屋《My Drawing Room》(2004 / 2021)やその周囲にも人形や小物といった、奈良さんが大切にしている私物がぎっしりと並んでいます。 自分の中では、「No War」というより「Peace」というイメージなんだけどね。いまの自分を築いてきた本を並べているし、古いドローイングと新しいものがごちゃ混ぜになっているし。思いつくものを全部持ってきて、その場で構成したんだよ。 ──やっぱり展示は即興的なんですね。 そうだね。自分と血がつながった、絶対に確かな要素しか持ってきていないから、どう組み合わせても成立するの。絵と同じで、思いつきと言っても、頭の中にイメージやアイデアが無数にあるから無意識にできる。偶然であっても必然性があるから、悩まずに決められる。 ──頭の上に子犬が載った大きな彫刻(《台座としての「森の子」》)もインパクトがありました。 あの頭が切れた《森の子》は、作品ではなく台座。それも思いつきで、名前を聞かれたから《台座としての「森の子」》になった。 ──王冠を被った自由の女神が現れたようにも見えます。 《森の子》自体、土からにょきって出てきているからね。最初は本を背表紙が見えるように上に並べようとしていたんだけど、同じ系統の色のほうがいいかなと思って子犬にした。家にある子犬を全部持ってきていたから、上に一周回して、余ったのを二周、三周と回して全体に置いてる。台座をチェックしたときに、なんとなく上の穴を蓋で隠してもらうよう頼んだんだけど、頭のどこかに本以外の案があったんだろうね。一緒に作業する人は、俺が何を言っているのか、最初は理解できなかったと思うよ。 ──この部屋には、奈良さんの個人的な思いや日常が詰まっていて、声高にスローガンを打ち出すような雰囲気ではありませんね。 それは、人に見せるためじゃなくて、自分のためにやっているからだと思う。オーディエンスを意識している人なら、反戦というと、人の死や恐怖感を前面に出して、戦争の悲惨さを伝えようとするだろうけど、俺は戦場に行ったことがないから、それをやると自分に嘘をつくことになる。 じゃあ、どうやってピースを表すのか。家にある、自然に集まってきた自分が愛でているものや自分が作ったものをそこに並べたら、こんな世界を壊したくないなって思うでしょう。大切なものを誰かに踏みにじられたら悲しいからね。 以前、広島市現代美術館から、戦争をテーマにした作品制作を依頼されて、最初、自分にはできないと思ったのね。でも、原爆の被害ではなく、原爆が光った瞬間を目に映している子供だったら描けるなって思って。それに戦争反対やNo Nukesは、絵を描く前から自分が意識してきたテーマだから、普段通りにやればいいんだってね。今回はその絵は借りられなかったけど、風で揺らぐような布にイメージを印刷して、上のほうに吊り下げてる。脱原発集会で使われた《春少女》のバナーは色が褪せちゃってるけど、ああいう印刷物を使うと、展示に公共性が生まれて外の世界とつながるんだよ。それも後で気づいたことだけどね。 ──《春少女》や《No Nukes》(1998)のイメージが脱原発運動のデモや集会などで掲げられ、社会に浸透していった出来事は意外でしたか? いや、そうは感じなかった。後で事の重大さに気づいたけどね。十万人集会で登壇したときも、坂本(龍一)さんや大江(健三郎)さんや瀬戸内(寂聴)さんといったすごい人達が横にいるのに、俺は全然緊張しなかったよ。 ──それも、オーディエンスを意識していないから? ああ、きっとそうだね。 ──「No War」には、2001年にファンの人達とコラボレーションした作品《I DON'T MIND, IF YOU FORGET ME. 》も展示されています。これは、当時あった公認ファンサイト、HAPPY HOURを通じて参加が呼びかけられ、大勢のファンが奈良さんの絵のモチーフのぬいぐるみを手作りして実現したものでしたね。 あれは、高橋さんが、「本当は日本にあるべき作品だから、ここになければだめです!」って言って、アメリカのコレクターから借りたの。俺がオーディエンスを意識した唯一の作品だと思うよ。2000年にドイツから日本に帰ってきたとき、みんなが俺のことを知っているからすごく驚いたんだけど、俺が知らなかっただけでじつはたくさんの人とつながっていたことを、HAPPY HOURは教えてくれた。掲示板を含むその交流の場には、自分が高校生のときにロック喫茶で経験した、小さなコミュニティの安心感やワクワク感があったんだよね。だから、知らないオーディエンスじゃなくて、知ってるオーディエンスを意識していた。 ──この作品の下にも、小さな人形やおもちゃが並べられていましたね。 あれは、これからはもっとしっかりやっていかないといけないんじゃないの?って、自分の幼少期に決別するような気持ちで当時置いたもの。展示した横浜の個展で、入りきらなかったぬいぐるみを鏡の前に積んで、背後の「YOUR CHILDHOOD」という文字を鏡越しに読めるようにした展示もしたんだけど、それは、鏡に映る鏡像を自分だと理解して自我が芽生えた、子供の成長段階を表していた。鏡に映った子供時代にはもう戻れない、自分自身のポートレイトだね。