「あなたがいたから私は変われました」私がダウン症のある娘のことを話す理由
待望の第一子を産んだ直後に、ダウン症と知らされたフリーアナウンサーの長谷部真奈見さん。現在は今春中学校を卒業し、15歳になった娘さんとの楽しい日々をブログで積極的に発信している長谷部さんだが、当初は娘がダウン症である事実を受け入れることができず、誰にも明かせないまま、自殺を考えるほど思いつめた時期もあったという。 【写真】人生が変わった元フジテレビアナウンサーの内田恭子さんとの出会い 「大好きで大事で大切な娘のことを、出産当時なかなか受け入れられなかった自分を、娘に許してもらいたい」――そんな思いから、長谷部さんが覚悟をもって当時の自らの思いと向き合う本連載。第8回の今回は、長谷部さんを支えてくれたかけがえのない存在についてお伝えし、前編ではヨガとの出会いについて寄稿いただいた。後編では、自分自身の思いやダウン症のことを発信することの大切さを教えてくれた先輩アナウンサー、内田恭子さんとの出会いについてお伝えする。 ※今回の記事は、内田恭子さんの許諾を頂戴して掲載しています。
運命としか言いようがない、憧れの先輩との出会い
娘は保育園に通っていた頃、よく流行のウィルスに感染しては重症化し、入退院を何度も繰り返していました。保育園の近くにある病院の小児病棟に行くと、「おかえり~」と看護師さんに声を掛けていただけるほど、本当によくお世話になったものです。 そんなある日、小児科の待合で娘と一緒に診察を待っていた時のことでした。今もよく覚えています。本当に美しい夕日が輝く窓際に、優しい表情で子どもを見つめている女性が立っていました。一目で、元フジテレビアナウンサーの内田恭子さんだとわかりました。 恭子さんは私にとっては尊敬する先輩アナウンサーですが、このときが初対面でした。もちろん、お互いの子ども同士も会ったこともなかったのですが、子どもたちがいる空間がなんとも自然な雰囲気で、一緒にいる様子がとても可愛くて、癒されて、私は自然に恭子さんに話しかけていました。 普通なら病院の待合はただですら待ち時間が長く、特にこのときは夕方になっても呼ばれないことにイライラし始めている時間だったかもしれませんでした。でも、この日は診察の待ち時間が長かったお陰で、夕日の沈む中、恭子さんと出会い、色々なお話をすることができたのです。同じ大学の先輩であり、アナウンサーとしても憧れの大先輩であり、共通の知り合いも多く、子どもたちが繋げてくれたご縁に心から感謝しました。