奈良美智ロングインタビュー(後編)。願い続けてきたPEACE、旅と場所づくり、アートよりももっと自由な人生を求めて
小さなコミュニティでのビオトープづくり
──ここ数年、北海道の白老町で行われている飛生芸術祭に有志として参加したり、洞爺湖で子供たちと絵を描く企画に携わったりと、小さなコミュニティでの手作りのイベントに積極的に関わられています。田舎のよさについてもお話しされていましたが、場を自分たちでつくる等身大の営みのほうが、人同士も深くつながれて価値が大きいと感じているのでしょうか。 そうなんですよ! それらは、先行投資して広告代理店が作ったようなものじゃなくて、小さな場所で自然とできていったものなのね。自分の中に入っていけばいくほど、逆に広がっていくというか……最近、ちっちゃいところでやっているはずなのに、それが大都市の中だけでやろうとしている人達よりも広がっていっている気がするの。 ――場所が田舎であっても、いいものをつくれば自然に人が集まり、注目されるということでしょうか。 そうだね。音楽のライブって、人を集めやすい大都市にしか来ないけど、もし知床にローリング・ストーンズが来たら、みんなはそこに見に行くでしょう? じつは大都市にこだわる必要は全然ないんだよね。人は価値のあるものを追いかけようとするから、そこでしか見られないっていう価値があれば、みんな見に来てくれるんじゃないかなって思う。 たとえば、綺麗な羽の鳥や蝶を探しに行って、捕って持ち帰ってきても、鳥や蝶が住める場所がなければ檻に入れて見せるしかない。そうじゃなくて、そこが荒れ果てて汚水が溜まったような場所なら、綺麗な池をつくってお花を植え、元のビオトープの湿地帯に戻していけばいい。そうすれば生き物達は戻ってくるし、綺麗な鳥や蝶や、いろんなものが集まってくるんだよ。 それは、創造することや教育だって同じだと思う。いい場所をつくれば、そこから生まれるものがたくさんある。でも大都市だと、会議が何回も行われたり、ルールがつくられたりして、とても自然にはできない。そういうのは、小さい場所ほど上手くいくんじゃないかな。 ──そうしたお話は、やはりロック喫茶での体験につながりますね。 そうだね。あの頃はネットもないし、外に向けてなんの宣伝もしなかったけど、ここはいい音楽が鳴ってそうだなって、通る人が興味をもってくれて、自然に蝶が集まってきた。たくさん来られても困るからチラシも貼りに行かなかったし、本当に弘前界隈の人しか知らない場所だったけど、そこを見つけてくれる人、そこがいいから口コミで来る人が集まる、居心地のいい場所だった。それが理想のコミュニティじゃないかな。自分はそういう場所をいろんな所につくろうとしていたんだなって思うよ。 それに、そのコミュニティができたことで、別の町にも似たようなコミュニティがあるとわかって、コミュニティとコミュニティ同士も交わっていくよね。そうすると共感の輪が広がっていくじゃない? 人が紹介し合うんじゃなくて、コミュニティ同士のつながりが大切だなってずっと思ってたよ。その中にはお年寄りも子供もいて、変わった人も普通の人もいる。変わった人しかできないことがあるだろうし、普通の人に任せておいたほうが安心なこともある。そのちっちゃな世界の中で役割分担を決めると、すごく楽だし、みんながその役割に誇りが持てるんだよ。 ──とても理想的な社会像ですね。 でも、みんなが変わっていく様子もよく見るの。いままで綺麗な鳥を望遠鏡で見て上手くいっていたのに、もっと見てみようと大きな望遠鏡を買ってきたり、やぐらをつくっちゃったりすると、鳥が来ていた湿地帯もまた変わっていく。宣伝しすぎて人が大勢来て、ゴミが増えたりとかね。人間はやっぱり欲があるということもよくわかってきた。 ──どうすれば、ほどほどに保っていけるんでしょうね? わからない。そういう世界に自分が近づかなければいいってだけ。まだまだ綺麗な湿地帯はあるから。 ──定住者じゃなく、旅人の視点ですね。 そうかもしれない。でも、変わらない人達もいるからね。この歳にして、社会に出た時の感じや人というものがすごくよくわかってきた。 ──さきほどの、自分の中に入っていけばいくほど、逆に広がっていくというのはどういう感覚なんですか? ちっちゃくまとめていったら、それがぐわーっと裏返って、大きなことになってたってこと。今回の展示で面白いのは、《My Drawing Room》の小屋の外側に、本来部屋の中にあるものが飾られているでしょう。赤瀬川原平の蟹缶の作品《宇宙の罐詰》みたいに、内側が裏返って外側に出ているイメージだよね。 ──ああ、なるほど! 言わなきゃ気づかないでしょ? ちっちゃなところも深く中に入っていくと、逆に裏返って、外に向かって広がっていくんだよね。 ──そのちっちゃなところは、個人にも置き換えられるということですね。 そうだね。ひとりの命は地球よりも重いということなのかな。それぞれに大きな価値をもった人達が集まっているんだなぁって思ったりするし。それも、後になって感じたことだけどね。