「名作が古典になっていく、過渡期にある」 あの戦争が遠くなるなかで、『はだしのゲン』を読む #戦争の記憶
歴史漫画への読者のリテラシーは上がっている
それでも、日本で生まれ育った人が最初に接する戦争作品といえば、『はだしのゲン』か『火垂るの墓』というイメージは今もあります。漫画編集者としては、それが何十年も続いている状況が果たしてよいのか、という問題意識は以前からありました。 2019年に、ベラルーシの作家スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチによるノンフィクション『戦争は女の顔をしていない』を、小梅けいと先生の作画でコミカライズし、連載を開始しました。独ソ戦に従軍した元女性兵士、数百人ものオーラルヒストリーを漫画にするにあたって気をつけていることは、ドラマチックな嘘をつかないということです。わかりやすく加工せず、できるだけ原作に忠実に描く。 きっかけは、2016年公開のアニメーション映画『この世界の片隅に』(片渕須直監督。原作はこうの史代の同名の漫画)でした。片渕監督は、当時の町並みだけでなく、何月何日の何時にその場所を歩いていた人まで再現しようとするんです。史実としての信頼性が恐ろしく高い。戦争や原爆に対しても、声高に主張するというよりは、淡々とした日常描写で伝えていく。この作品がロングランヒットした時に、これが受容されるぐらい、読者のリテラシーは上がっているんだなと思いました。
確実に古典になる作品
今の若い人たちは、作り手の作為に敏感です。作者の主張を丸呑みにはしてくれない。その意味で、『はだしのゲン』は反戦・反核をまっすぐに主張しすぎていて鼻につくのではないかと思います。 私だったら、最初の作品には『この世界の片隅に』をすすめます。比較的フラットで、情報精度の高いものをまずは受け取ってもらった上で、より主張の強いものへと読み進めてもらったほうがいいと思う。 『はだしのゲン』の価値はまったく否定しません。戦争漫画の先鞭をつけたという功績も当然あります。ただ、平和教育の最初に読まれるテキストという役割はすでに果たしたと思っていて、これからは2冊目以降に読む重要な副読本という立ち位置に移行していくのがいいのではないでしょうか。 作品というものは、歴史的な文脈や時代状況、その時々の社会のニーズの影響を強く受けます。『はだしのゲン』が抱えている問題は、まだ古典になりきっていないため、感情的な社会活動に振り回されてしまうこと。100年後にはむしろ、今より熱心に、先入観なく読まれていると思います。それだけの強度のある作品です。