【ヤンチャすぎ】高2で大学生をボコボコにし、「女の子を連れて来い」と恐喝…“闇社会の帝王”と呼ばれた男の“荒れまくった学生時代”
大阪・中津の在日韓国人地区で生まれ育ち、喧嘩に明け暮れアウトローの道へと突き進んだ許永中。イトマン事件、石橋産業事件で暗躍し、「闇社会の帝王」「戦後最大の黒幕」と呼ばれた。 【衝撃画像】恐すぎ…“闇社会の帝王”と呼ばれた許永中の“イカツすぎる”素顔写真を一気に見る ここでは、そんな許永中の波乱万丈な人生を綴った 『許 永中独占インタビュー「血と闇と私」』 (宝島社)より一部を抜粋。彼のヤンチャすぎる学生時代のエピソードを紹介する。(全4回の1回目/ 2回目 に続く) ◆◆◆
「僕は、韓国人です」
許が大阪府立東淀川高校に入学したときのことだ。クラス編成が発表され、第1回目のホームルームで、クラスメートが順に自己紹介をしていくことになった。 自己紹介といっても、これといってテーマがあるわけがない。気負っているつもりはなかったが、このとき彼はいきなり自分の出自に触れた。 「僕は、韓国人です」 わざわざ公言した。陰でいろいろ言われるのが嫌だったからだ。同じ地域で育った者も中にはいる。隠し通すことは難しい。どこかで誰かにばらされて、「向こう側」の目で見られるより、自分ではっきり口にしておきたかった。 一瞬、教室が静寂に包まれた。そんな自己紹介をした級友は、他に1人もいない。もちろん、彼は「出身中学」や「好きなもの」や「得意なこと」も付け加えた。ただ、在日であることを外す気にはなれなかった。 このとき、あくまで日本名の「湖山」で、韓国名の「許」は名乗っていない。愛国心うんぬんはあまり関係なかった。高校生活で余計な気を使いたくなかっただけである。
高校2年生から、毎朝10時前にパチンコ屋へ
1年目は比較的まじめに通っていた許の高校生活は、2年目に入った頃から一挙に荒れ始める。 実は許には入学早々電撃的な恋心を抱いた女子がいた。第1回目のホームルームでの出自も、同じクラスになったその彼女に向かって告白したようなものであった。しかし2年になった時のクラス替えで彼女とは別になってしまう。
それで全く勉学意欲を無くしてしまったのである。毎朝10時前には高校に近いパチンコ屋に必ず足を運んだ。開店に合わせて顔を出す。時間つぶしといいながら、ずいぶんと律儀なものだ。 パチンコ屋での悪さの中身を、軽く紹介しておく。当時のパチンコ台は上が斜めに傾いて向こうに沈むようになっていた。釘は先が広がっているものの、根元は皆同じサイズだ。玉を入りやすくする一番簡単な方法は、台の底を足で蹴ってへこませることだ。こうすることで、台がこちらに浮き上がってくる。 玉はガラスに当たるようになる。勢いを止められてしまうわけだ。玉は跳ねずに真下に落ちる。結果として穴に入る。パチンコの穴はセンター、右、左に空いている。右の釘が緩く、他は締まっているとしよう。右に玉を集中させれば、その分当たる確率が高くなる。 許も連れもガタイは良かった。台を蹴るのはお手の物。面白いほどよく入った。店員に見つかると、当然のことながら揉めたものだ。