水風呂に頭入れられ… 受験強制され失敗… 親に植え付けられた恐怖と劣等感 教育虐待で歪んだ人生 #こどもをまもる
勉強のできる兄と比べられ自己肯定感をまったく持てず
東京・池袋の飲食店。子ども時代について重い口を開いた野崎正也さん(仮名・49)も、母の教育に振り回されてきた一人だ。
現在、介護用品の配送に従事する野崎さんには4歳上の兄がいる。両親は野崎さんが小3のときに離婚、父とは生活費を送ってもらうだけの関係になり、母と兄との3人暮らしが始まった。母が教育に目覚めるのは、兄が偏差値の高い都立高に進学した後のことだ。 「兄のあおりで、私も急遽、中学受験をすることになりました。まったく興味なかったのですが、小6の夏期講習で塾に入らされた。ですが、塾の勉強はとても難しく、成績が上がらないまま中学受験に臨むことになりました」 2校受験したが、合格発表の掲示板に自分の番号はなかった。公立中学への進学は想像以上にダメージが大きかった。 「同じ塾で私立中に進学できなかったのが自分だけ。劣等感のような感覚が強く残ることになりました」
高校は中堅の私立校に進学。だが、兄が名門私立大学に入ったことを受け、野崎さんも高1から予備校に入らされた。当初は自分自身も頑張れば行けるのではという期待があったが、次第に兄のレベルには届かないことがわかった。だが、母はどうしても一定以上のレベルの大学しか受験してほしくないと言い張り、「模試でE判定」だった大学の受験を強要した。結果はやはり不合格だった。 その後も母は名門大学の受験を望み、野崎さんは「無理を承知で」受け続け、そして失敗した。結局、3浪目の受験で初めて自分の実力に近い関東の大学に出願し、合格した。 大学生活はほとんど楽しめなかった。母と暮らすのがいやになり、一人暮らしを始めた。なにより大きかったのは、自分自身への肯定感がまったく持てなくなってしまったことだった。
「兄と比較してできないのは確かなので、自分の問題です。でも、勉強ができなかったことは、そこまで否定されるべきことだったのかと。劣等感を植え付けられ、傷ついたといま言えます。母にはあれは虐待だったと気づいてほしかった」 その後の人生も「順調とは言えなかった」。就職氷河期のなか就職活動はうまくいかず、卒業後は契約社員など非正規の仕事に長く就いてきた。正社員として現在の仕事にたどり着いたのは41歳のときだ。現在パートナーがいるが籍は入れていない。兄や実家とは30代以降、めっきり疎遠になった。