水風呂に頭入れられ… 受験強制され失敗… 親に植え付けられた恐怖と劣等感 教育虐待で歪んだ人生 #こどもをまもる
「私がADHDと分かったとき親が喜んだ」40歳で親と縁切る
親が子どもに過度に教育を強要する──。それが「教育虐待」という虐待の一種として指摘されている。 すべての人は教育を受ける権利があり、同時に、子女(子ども)に受けさせる義務がある(憲法第26条)。この“受けさせる”主体は、保護者、親である(学校教育法第16条)。 だが、子が受け入れられる許容範囲を超えて勉強させることは、その子を苦しめ、追い込むことになる。それが長期にわたって続けば、その子の人格や人生にまで影響を与えることもある。 そんな子どもの一人がサトリさんだった。
サトリさんが進学した高校は都立の進学校。それについては何も言われなかったが、大学の選択には父から厳しい注文がついた。国公立で家から通えるところしか認めない。なんとか父の要望を満たす国立大学に受かったが、大学生活はサトリさんが思い描いていたものとはかけ離れていた。朝も夜も父に厳しい時間規則を決められた。入学後すぐ燃え尽き症候群となった。数カ月後に持ち直したが、その後も頭痛と腹痛が続いた。 「大学の健康管理センターでカウンセリングを受けると、うつ病の可能性を指摘されました。大学2年になって正式に精神科で診断してもらったら、心身症(心理的ストレスで倦怠感や過敏性腸症候群など多様な疾患が表れる)でした。原因とされたのが親だったんです」 大学院、就職浪人を経て、なんとか就職したが、その後も心身の不調は断続的に続いた。40歳のとき、精神科でADHD(注意欠陥・多動性障害)、43歳のときにPTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断された。現在は障害年金(2級)で暮らしている。 サトリさんは40歳で両親と縁を切ることにした。以来、連絡を取っていない。 「決め手は私がADHDとわかったとき、2人が喜んだ顔をしたこと。ADHDという診断で私の知能が高いという認識になったのでしょう。2人は私がどれだけつらい思いで生きてきたか、まったく考えていなかった。いまポエトリー・リーディングなどを通じて、虐待当事者と触れ合うことが増えました。教育虐待に悩んできた人は私だけではないように思います」