金子恵美、夫の過ちをなぜ許せたか。関係修復の処方箋とは
失望した二度目の報道。どん底を味わったはずなのに……
議員辞職から数年、2020年のちょうどコロナ禍に、宮崎の二度目の“女性問題”が報道されました。報道が出る前、宮崎から電話がかかってきた時のことは忘れもしません。私は東京駅の近くに停めた車の中で電話に出ました。「もしもし……」という夫の声を聞いた瞬間、「ああ、まただな」と気付きました。何か言いたいことがあるけれど言えない時の声でしたから。すぐに「またやってしまいましたね」と言いました。 一度目の時、議員辞職までして、顔面麻痺になるほどのどん底を味わって、ようやくこの数年間でここまで立ち直ってきたのに、この人こんなに学習能力がなかったのか……。その脇の甘さに心底がっかりしました。 ただ、説明を聞くと二度目は“未遂”でした。当時、宮崎はネット上で皆さんの相談に応じる活動をしていて、そのうちの一人の医療従事者だという女性から相談を受けていたところ、「会いたい」という話があって、悩んでいる人をむげにもできず、言われるがまま一度会うことに。この時は何もなかったそうですが、そのことを「二度目の不倫」と週刊誌で報じられました。 私も宮崎が親身にいろいろな人の相談に乗っていたことは知っていましたし、困っている人に手を差し伸べずにはいられないキャラクターを知っているので、宮崎らしいなとも思いました。そして、宮崎が私に向き合っている時の目や言葉には噓がない。私にしてくれていることへの偽りはないと信じられました。さすがに、「なんで一人で行っちゃったかなぁ。下心あったんじゃないの?」って突っ込みはしましたよ。
「夫の気持ちは私にある」。信じ切れたからこそ
怒りはないのかと聞かれたら、女性としての感情の部分で、何もないと言えば噓だと思うんです。思い返しても、一度目は知らされたのが出産した日の夜でしたからね。幸せの絶頂でそれを聞き、何も思わないことはなかった。ただ、本人はこんなに反省しているし、目の前には生まれたばかりの子どもがいる。そしてその瞬間にも、彼がいつも私にしてくれていることと天秤にかけた時に、そちらが勝った。今の日常をこんなことで失いたくない、と思ったんです。そして、次の瞬間には、政治家としてこれから起きることにどう対応するか、という思考に自分を切り替えた。その時、感情はもしかしたら押し殺したのかもしれないですね。 私が彼を許せたのは、気持ちが私にあると信じられたからです。宮崎は元々、普段から私に対してスキンシップも含めて愛情表現が豊かなタイプ。だからこそ、「あんなに愛情表現をしてくる人がなぜ」という思いがあったのも事実ですが……。宮崎が辞職会見で言ったのが、「人間としての欲が勝ってしまった」という言葉でした。心まで持っていかれたら、女性は絶対わかると思うんです。もしそうなら、私は絶対に許せなかったでしょう。 今も、気持ちが自分にあることは日常的な会話の中で確認しています。今の気持ちもそうですし、もっと先の二人の将来の話をできるかどうか。「子どもが自立したらどうする?」という将来設計を話しつつ、「もちろんその相手は私だよね?」と。