「やっぱり幸せのために生きてるんだ、人間は」――どん底も闘病も乗り越えた加山雄三86歳、波瀾万丈の人生 #昭和98年
負債総額23億円の「どん底」 人はみんな去った
一世を風靡した60年代が過ぎ去ると、「まさか」続きの70年代が待っていた。母が急死し、父と叔父が経営していたパシフィックホテル茅ヶ崎が倒産。「若大将」シリーズは打ち切りに。スキー場で圧雪車にひかれて大けがを負い、再起不能といわれるなど、さまざまな危機に直面した。 「70年代は最悪だね。まあいろんな事情、あったよね。俺は3回ぐらい死ぬところだったから。雪崩にも巻き込まれた。雪崩に遭った時、どうしたらいいか。上も下も分からないじゃない? 頭がいいと思うんだけど、よだれを垂らしてみたんだ。垂れたほうが下だなと思って、反対側を蹴っ飛ばしたら雪がどいたんだよ」 倒産による負債総額は23億円。監査役を務めていた加山も4億円ほどの借金を背負った。 「(23億は)今で言うと100億超えてるよね。でも面白いのはね、加山雄三は売れて売れて売れて、その後でさ、そういうどん底な生活になるじゃない。そうすると、みんな去っていくんだよ。ああ、これが本当の俺なんだなと。そういうふうに思えたんだよね」 どん底の最中に結婚したのが、『エレキの若大将』で共演した女優の松本めぐみだった。倒産騒ぎを避けてロサンゼルスに飛んだところ、彼女がローマにいることを知る。すぐにローマへ向かい、コロッセオの凱旋門でプロポーズ、パリでウェディングドレスを買い、ロサンゼルスで式を挙げた。 「日本に戻ってから、クラブとかキャバレー回りをして、とにかく借金を返済したよ。稼いだ金を全部持っていかれちゃうから、国税局にお願いに行った。最低限の生活費を認めていただけないかって。だって、食わなきゃ死んじゃうでしょ。そしたら認めてくれてさ。カミさんと生卵を半分に分けて、ご飯にかけて食べていたね。栄養があるし、食べるものがあるってありがたいことだねと思いながら」
1975年、「若大将」シリーズが映画館で上映され、突然のリバイバルブームが起こる。苦難を支えてくれた海への思いを新曲「海 その愛」(1976)で歌い、日本武道館でもコンサートを開催。映画『帰ってきた若大将』(1981)も製作されるなど、“奇跡の復活”を果たす。借金は10年をかけて完済した。 「苦しい時もね、命があるんだから、やれるだけのことをやろうじゃないか、と。どんなことでもありがとうって言えるようになったら、道が開けるかなって。関心、感動、感謝の三カン王。そういう気持ちを持って一生懸命生きていると、いいほうに向かうんだ。感謝は返ってくる。不思議なもんで、自分がどうでもいいやと思えば、相手にもそういう気持ちが育ってるのよ。だから、どんな時でも感謝するんだ」