新型コロナ感染、酷暑、調整不足…苦難に耐え男子ゴルフの松山英樹が「最後は気力だけで」熾烈な銅メダル争いをした理由とは?
ゴルフの歴史に残る死闘の後に残ったのは脱力感と、たとえようのない悔しさだった。 東京五輪10日目の1日に、埼玉・川越市の霞ヶ関カンツリー倶楽部東コース(7447ヤード、パー71)で行われた男子ゴルフの最終ラウンド。首位に1打差の2位でスタートした松山英樹(29・LEXUS)は5バーディー、3ボギーの「69」で回って通算15アンダーでフィニッシュ。銅メダルをかけて7人が戦う前例のないプレーオフに回ったが、最初のホールでパーをセーブできずに脱落。無念の4位タイに終わった。 スコアを4つ伸ばしたザンダー・シャウフェレ(27・アメリカ)が、通算18アンダーで首位をキープして金メダルを獲得。最終日に驚異の「61」をマークし、通算17アンダーと猛追したロリー・サバティーニ(45・スロバキア)が銀メダルを、4ホール目に突入したプレーオフを制した潘政ツン(29・台湾)が銅メダルを獲得した。
「もう体力は残っていなかった。力尽きた」
勝負がかかるサンデーバックナインから狂い始めたグリーン上の感覚は、最後まで元に戻らなかった。プレーオフ1ホール目の18番(パー4・500ヤード)。約3mのパーパットがカップの右を通過した瞬間に、松山の東京五輪が終わりを告げた。 「もう体力も残っていなかった。最後は気力だけで頑張りましたけど、力尽きました」 銅メダルにあと一歩およばない4位タイで順位が確定した直後に応じた、テレビのインタビューのなかで残した言葉が今大会の松山のすべてを物語っていた。 東京五輪へ向けて描いていた青写真が一変したのは7月2日だった。アメリカツアーのロケットモーゲージクラシックの2日目に臨む直前に、新型コロナウイルスへの感染が判明。10日間あまりの自宅療養を余儀なくされ、出場を予定していた今シーズン最後のメジャー、全英オープンもコンディション調整が間に合わずに欠場した。 ほとんど練習ができない状態で帰国し、24日からコースでの練習開始、25日に9ホール回ったが、ほぼぶっつけ本番。そこに他の競技に参加している選手たちが次々と悲鳴をあげている高温多湿の過 酷な気象条件が病み上がりの身体から体力を奪い取っていった。 4日間、計73ホールにわたった戦いを夢半ばで終えたいま、松山は「想像できなかった」と療養中に抱いた本音を打ち明けた。想像する対象は、言うまでもなく自国で開催される東京五輪でプレーする自分自身の姿。その上でこう言葉を続けた。 「だからこの舞台に立てたことがすごく嬉しかったし、最後いい位置で回れていたので、何とかメダルを獲りたいという気持ちが強かったんですけど。それをかなえることができなくて、いまはすごく悲しい気持ちです」