へたれを変えた「勇気と本気」――月亭方正が落語と出会って手に入れたもの
今年は6月5日が「寄席の日」。その寄席、落語に出会い人生が変わったというのは40歳のときピン芸人から落語家に転向した月亭方正さん(55、元・山崎邦正)。窮地に立たされ泣いたりわめいたり、その「へたれっぷり」がテレビで人気を博したが、その裏では、「何をやっても『おもんない』とくくられ、一時期は枕に顔をうずめて涙を流していた」と明かすほど、かつて方正さんは人知れず葛藤や悩みを抱えていたという。不惑(40歳)にしてそれまでとは勝手が違う新しい世界に飛び込んだ、そのわけとはなんだったのか――。(ジャーナリスト・中村竜太郎/Yahoo!ニュース Voice)
「全国で恥さらして、バカにされて…」思い描いた自分像を捨てた人生だった
――20代のとき方正さんは「TEAM-0」としてABCお笑い新人グランプリを受賞。ダウンタウンさんと同時期に東京へ進出し、初期から「ガキ使」のレギュラーです。これまでを振り返ってみていかがですか。 月亭方正: 僕、大学受験を1浪して失敗しNSCに入学したんですけど、運良くアイドル的な人気で売れたんです。この先ずっといけると意気込んで上京したら、突然コンビ別れに。そしたら急に仕事がなくなりました。若くて調子に乗っていたから自分のおかげと勘違いしていたんですけど、まったくそうじゃなかった。相方とふたりでやっと一人前やったんや、と思い知らされました。ダウンタウンさんら先輩方とは天と地ほどのレベルの差があり、僕はついていけない。でも「山崎をなんとかせなあかん」とまわりが考えてくれ、そのころついたキャラが「あほ」「へたれ」、ほんで「おもんない」です。嘲笑されるスベり芸なんですけど、そうやってなんとか生かしてもらったわけです。 雑誌特集の「消える芸人」に毎回入り、そのたびにいじけてましたけど、そんな出方をしているから仕方がない。「あほ」や「へたれ」はまだええんです、そのとおりの人間ですから。けれど自分なりに、芸人として一生懸命頑張っているのに、何やっても「おもんない」とくくられるのはつらかった。若くして売れたからプライドが高かったんでしょうね、実力のない自分が悪いんですけど、未熟でしたから、その頃はずっと苦しんでもがいていました。 ――「おもろい」と言われるために芸人をやっているのに、「おもんない」とされるのは精神的ダメージが大きいですね。 月亭方正: 仕事が終わるたび「今日もあかんかった」と落ち込む毎日。友だちは励ましてくれるけど、「全国で恥さらして、バカにされて、なんやこれ」と。一時期は思いつめてしまい、家に帰ると枕に顔をうずめて涙をポロポロ流すようなことも。「クソみたいな人生や、もう芸人やめよう」。ところがいざ決心すると、「いまやめたら、ほんまにおもんないからやめたと思われる」と妙な負けん気がもたげてきて。考えたすえ、「おもんない」をいったん受け入れようと決めたんです。そう言われたらぐっと飲み込んで、「おもろいわ!」。これだけは言い返したろう。うなだれて終わりじゃなくて、そこで意地を出してぱっと顔を上げ前を向く。そうすることで、ネガティブな言葉を自分から取り込んで、ポジティブに変換しようとしたのかもしれません。 誰にも相談せずにそう心に決めたら、不思議なことに評判がよくなり、半年後レギュラーが9本に増えました。だからひとつ勉強になりましたね。世間が求めるものに合わすと仕事が増えて、経済が回っていくんだと。それからはいろんなことを飲み込んで生きていくようになり、現実を優先して自分がこうありたいという理想は棚上げするかたちに。思い描いた自分像をあきらめ、大事なものを捨てて妥協する代わりに、生きていくためのお金をもらう。 けして本心から納得しているわけではないですけど、「これでええんや」と自分に言い聞かせて40歳まできました。しかしいくらお金を稼いでも、逆にストレスはたまる一方。「こんなに苦しんでるんやから、お金を使って気持ちを紛らわそう」と、飲む、打つ、買う。刹那的、退廃的な暮らしが続きました。もやもやして心の奥が晴れていないから、そうするしかなかった。だからその頃の自分はあまり好きじゃないです。