へたれを変えた「勇気と本気」――月亭方正が落語と出会って手に入れたもの
「へたれ」と真逆の言葉が心の勲章に――自分を変えたいときに必要なもの
――ちょうど40歳で、お笑い芸人「山崎邦正」から落語家「月亭方正」に。どんな経緯があったのですか。 月亭方正: 営業で後輩のチュートリアルやブラマヨと一緒になると、どかーんと笑いを取り舞台から颯爽とハケていく。次はピンの僕。知名度はあるから登場後はキャーって騒がれるんですけど、トークをしてもだんだんお客さんが沈んでいく。目の前のお客さんを楽しませることができない。そんなことが何度か重なって、振り返ると40歳。「芸歴20年なのにこれからどないすんねん、人生終わってしまうやん」と自問自答しました。 そこで東野幸治さんに相談したら、落語を聞いてみたらという助言をもらったんです。でも僕はテレビは古いものをぶっ潰さないといけないと思っていたので、あえて古典芸能を遠ざけていたところがありました。半信半疑で、すすめられた桂枝雀師匠の『高津の富』を聞いたら、ところがまあ、びっくりするくらいおもしろかった。以来、枝雀師匠の落語を毎日聞くように。ちょっと信じてもらえないかもしれないけど、本当に人生の視野がパアーッて広がって輝いたような気がしたんです。「人生をかけるのはこれや!」って真剣に思ったんです。 ――それから、師匠となる月亭八方さんに入門されました。 月亭方正: 誰もが当初、僕が本気だとは思っていませんでした。でも、僕は誰よりも本気でした。師匠は、立川談志師匠がビートたけしさんに高座名をあげたりするような格式張らない感じでいいんじゃないかと思っていたそうです。月1回の稽古会に参加して、師匠に「『ふたなり』を覚えましたので、やってよろしいですか」とお願いすると、「なんやおまえ、また来たんかい。やりいな、ほんなら」。次は「『猫の茶碗』覚えたので――」「まあ、やりいな」と、こんなぐあいです。 10カ月ほど経った頃でしょうか、楽屋で師匠がだしぬけにおっしゃいました、「おまえ、本気か?」。「はい」「上方落語協会入るか?」「入りたいです」「ほんなら言うとくわ。おまえ、もし協会に入って、落語やめますって言ったら、この世界(芸能界)やめろよ」。覚悟を問われたのですが、僕はためらうことなく「はい」と即答。実際、本当にうれしかったですし、同時に身が引き締まる思いでした。 ――しかし落語界はしきたりが厳しいのでは? 人気芸人だったのに、その年齢で一から始めるのはきつくなかったですか。 月亭方正: 落語は入門が先であれば年齢に関係なく先輩になりますし、一般社会よりも上下関係が厳しい世界。秩序や掟が重んじられます。僕の場合は「兄さん」のほとんどが年下になりますが、先輩を立てるのは当然ですし、年齢も気になりません。鳴り物(前座の役目)をしていたら上の偉い方から「あっち行け」と追い払われることもありましたが、僕にとっては取るに足らないこと。とにかく落語ができることがすべてで、それさえあればネガティブなことは跳ね返せるという気持ちです。収入は減りましたけど、さいわい家族は理解してくれましたし、以前のような無茶な散財をしなくなりました。だからどれだけすごいものを自分が手に入れたかということなんですね。人生が変わりました。 その落語でもスベったり緊張したり、不安や苦労はいくらでもありますが、自分がやりたいことを見つけられて、それに没頭できたのは幸福でした。そうはいっても本気じゃなければ落語家に絶対なれなかったと思います。 ――笑福亭鶴瓶さんは「方正は落語を頑張っている」と評価していますね。 月亭方正: 鶴瓶師匠がそう言ってくれるのは本当にありがたいですし、ほかの多くの方にも応援してもらっています。独演会のゲストに来ていただいた立川志の輔師匠からは「方正君は努力している。勇気もある」。信じられますか? 勇気ですよ! 本来は「へたれ」のはずなのに、それとは真逆の言葉が僕の心の勲章になりました。 勇気とはものおじせずに立ち向かう力という意味ですけど、何も知らなかった僕が好きだという情熱だけで落語の世界に飛び込んだのは、志の輔師匠がおっしゃるように勇気なのかもしれません。自分を変えるとき、変えたいと思ったときには、やっぱり勇気は必要ですよね。僕は、その勇気と本気を失わずに、大好きな落語を続けていこうと思います。 ----- 月亭方正 兵庫県出身。「TEAM-0」というコンビで東京進出後、1991年に第12回ABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞を受賞。2013年1月より芸名を本名・山崎邦正から、高座名「月亭方正」に改名。上方落語協会会員。