ウォーレン・クロマティ「チーム史上最高打率」「バンザイパフォーマンス」…記憶にも記録にも残る、ファンに愛された巨人最強助っ人
読売巨人軍の歴史に彩りを添えるのが、外国人選手の存在だ。剛球豪打で数々の勝利をもたらしてきた。中でも、ウォーレン・クロマティ(71)とアレックス・ラミレス(50)は成績だけでなく、そのパフォーマンスでも多くのファンに愛された。(敬称略) 【写真付き図解】記憶に残る巨人の歴代外国人選手たち
ばりばり大リーガー、神様が来たような歓迎
1984年2月、成田空港に降り立ったクロマティは、報道陣のあまりの多さに驚がくした。プライベートルームも用意され、「神様みたいなとんでもない人が来たような、すごい歓迎だった」と述懐する。
球団創設50周年を迎えるこの年、新たに王貞治が監督に就任。目玉選手を獲得したい球団から熱烈なラブコールを受けた。30歳のばりばりのメジャーリーガーで、大リーグ通算安打数は1000本を超えていた。サンフランシスコ・ジャイアンツと2年契約がまとまっていたが、最後は巨人の熱意に来日を決断したという。「王さんという、すごい英雄がいたのもサインした一つの理由」と振り返る。
日本野球に戸惑い、助けてくれた王監督
最初の2、3か月は、日本の野球に戸惑った。慣れない日本食、言葉の壁に、家族に会えない寂しさも重なった。一番つらかったのは、自分の気持ちをチームメートに理解してもらえないことだ。「メジャーリーガーのプライドをかざすように上からじゃなくて、みんなと同じようにチームに貢献したい。それを分かってもらいたかった」。苦しい時、助けてくれたのが王だった。食事に誘うなど親身になってくれた。
打撃についても、色々と助言をもらった。記憶に残るのが、「わきの下に本を挟んでいるつもりで振れ」という指導だ。右肩の開きを抑えるためで、「やっぱり道理にかなっていた」と感謝する。こらえきれずに米国へ帰国しようとした時、何度も引き留めてくれたのも王だった。
頭に死球、翌日に劇的満塁弾「すべて変わった」
大きな転機となった試合が、86年10月3日のヤクルト戦だ。優勝争いのまっただ中だった。その前日、頭部に死球を受け、担架で運ばれて緊急入院。幸いにも打撲だった。翌日、球場に行くと、「休んでいないとだめじゃない」と仲間に心配された。同点で迎えた六回に代打で登場し、尾花高夫から劇的な満塁ホームラン。ベンチ前で王の帽子が吹き飛ぶほど、強く抱き合った。涙ぐむチームメートもいた。「あれで、すべてが変わった」。チームの一員となり、日本に受け入れられたと確信した瞬間だ。