ウォーレン・クロマティ「チーム史上最高打率」「バンザイパフォーマンス」…記憶にも記録にも残る、ファンに愛された巨人最強助っ人
早出での打撃練習に衝撃を受けたという。どんな球でも、反対方向の左へ打ち返す。そうかと思えば、内角高めの球ばかりを投げてもらい、引っ張る練習を繰り返していた。
特に左打ちだ。「この人、大丈夫か。訳の分からない打ち方をしているな」と最初の頃は思ったそうだ。小笠原の左隣で打っていると、「全部僕に当たるぐらいの感じなんだ」。だが、その意図を聞くと、すぐに納得した。「ボールを引きつける。手の返しも重要だから、僕はいつもやっているんだ」と教えてくれた。
全体練習前に、小笠原と一緒に室内で打撃練習をこなすのがルーチンとなった。時間は45分~1時間。隣に並んで、毎日300球ぐらいは打っていたという。この切磋琢磨(せっさたくま)が、好成績へとつながった。
3番小笠原、4番ラミレスの「オガラミ」は、相手投手の脅威となった。ラミレスは移籍1年目で、打率3割1分9厘、45本塁打、125打点という数字を残し、自身初のリーグMVPを受賞した。「オガラミでアベックホームランを多く打った。素晴らしいシーズンだった」と懐かしむ。翌年もMVPを受賞し、リーグ連覇に貢献した。
その後はDeNA、独立リーグと渡り歩き、引退後はDeNAで監督を務めた。功績が認められ、野球殿堂入りも果たした。巨人時代を「野球人として一番伸びた時期。移籍は英断だった」と思っている。
「みんながハッピーな時にやるもの」
クロマティと言えば、ライトスタンドのファンと一体となって行う万歳三唱=写真左=。きっかけは、日本の文化を調べるうちに、結婚式や宴会で万歳をするのを知ったことだ。「みんながハッピーな時にやるものだと思って、後楽園でやってみた」
最初は控えめな小さな万歳で、2、3人のファンがやってくれた。2回目は10人ぐらい。その後、万歳を何回するのがいいのか分からず、チームメートに助言を求めた。次に本塁打を放った際、思い切って大きな万歳を3回したら、多くの人が一緒にやってくれた。「ファンに楽しんでもらいたい、喜んでもらいたいのが一番だった」と懐かしむ。