ウォーレン・クロマティ「チーム史上最高打率」「バンザイパフォーマンス」…記憶にも記録にも残る、ファンに愛された巨人最強助っ人
89年は規定打席に達した時点で、打率4割を超えていた。新監督の藤田元司から欠場することも提案されたが、「出ます」ときっぱり。「後悔はない。僕は野球人として、やっぱり勝ちたい。チームのために貢献したい」と当時を振り返る。終盤に失速したものの、打率3割7分8厘。この数字は、今も巨人のシーズン最高打率として輝いている。優勝、日本一を勝ち取り、リーグ最優秀選手(MVP)にも選出された。
この年の開幕前、監督を退任していた王と夕食をともにした際、「クロマティはすごい。もう完全に日本をマスターしたよね」と賛辞を贈られた。野球だけではなく、日本の文化や食事も含めてのことだ。最高の褒め言葉だった。
「王さんがいなければ、今のクロマティはいないよ」と言い切る。自身のスマートフォンには、王との写真がいっぱい。今も連絡を取り合い、食事を楽しむ間柄だ。大リーグや打撃理論、野球の将来など、野球談議に花を咲かせている。
2年連続MVP、常勝軍団支える…アレックス・ラミレス
小笠原から刺激、切磋琢磨
ロッカーの隣は小笠原道大で、もう一方の隣は阿部慎之助。高橋由伸もいる。2008年、前年優勝の巨人に加わったラミレスは、そうそうたるメンバーに囲まれた。「勝つだけじゃなく、優勝しなければいけない。プロ意識の高いチームだった」。常勝チームに身を置いた4年間をこう振り返る。
これまで所属したヤクルトは自由でアットホームな雰囲気だった。仲間やコーチらの助力があり、好成績を残した。巨人の印象は、「いい選手がいっぱい。競争が激しいので、少し調子が悪いとすぐに二軍に落とされてしまう」。当初、移籍先の選択肢にはなかったという。巨人への移籍は挑戦だった。
小笠原との出会いが大きかった。06年に日本ハム、07年に巨人でリーグ最優秀選手(MVP)となった、「フルスイング」が代名詞の左打者だ。07年に204安打を放ったラミレスも、「彼がナンバーワン」と認めていた。「すごい打者だと分かっていたけど、同じチームになって、練習を見て、これだけ成功しているのはやっぱりなと思った」と当時を振り返る。