川崎フロンターレの中村憲剛が貫いた引退の美学…40歳バースデー弾の翌日に電撃引退を発表した理由とは?
前夜に魅せた千両役者ぶりの余韻が色濃く漂っていたからこそ、電撃的な現役引退表明はまさに青天の霹靂となって、サッカー界だけでなく日本のスポーツ界全体をも驚かせた。 中央大学卒業後の2003シーズンから川崎フロンターレひと筋でプレーしてきたレジェンド、元日本代表MF中村憲剛が1日にクラブの公式YouTubeチャンネルで緊急会見を配信。18年目となる今シーズン終了をもって、愛着深いユニフォームを脱ぐことを明らかにした。 40歳の誕生日だった10月31日にホームの等々力陸上競技場で行われた、FC東京との多摩川クラシコで決勝ゴールをゲット。フロンターレのファン・サポーターを熱狂させた憲剛は上下濃紺のスーツ姿で登壇し、胸中に秘め続けてきた決断を画面越しに伝えた。 「いつかはこの言葉を言う日が来るとずっと思っていたし、それを今日みなさまにこのような形で話をすることができた。自分のなかではすごく溜めていたものがあったので、正直、ホッとしているというか、すっきりしているというか。いまはそういう気持ちです」 あまりにも唐突すぎる現役への別れは5年前、2015シーズンに迎えた35歳の誕生日に、夫人の加奈子さんと話し合ったなかで決めていたと憲剛は明かしている。 「一般的には40歳までサッカーをしている選手はいない。なので、40歳で区切りをつけて残りの5年間を、目の前の一年一年の勝負を頑張ろう、という思いでここまでやってきました」 さらにさかのぼれば30歳になった2010シーズンの段階で、憲剛によれば「選手としての終わり方、引退をどのようにするのかを漠然に考えていた」という。このときに弾き出された「35歳まで頑張る」という目標設定は、風間八宏前監督が就任した2012シーズンの途中以降に生じたフロンターレのポジティブな変化とともに、一度白紙に戻されている。 「自分のサッカー観が変わりましたし、チームも右肩上がりになったなかで僕自身も伸びながらだったので、35歳で引退するという発想は、33歳、34歳のときにはなくなっていました」