「本野はきもの工業」が作る、現代のライフスタイルでも履きやすい日田下駄
失敗を恐れず、チャンスを掴み続けたい
ー産地全体で日田下駄の作り手が少なくなっていると聞きました。現状を教えてください。 全盛期は戦後で、昭和20年代です。当時は下駄に関わる会社が200社ほどあったようですが、それをピークに減ってきていて、今は弊社を入れて7社ほどになりました。 もともと下駄作りは分業で成り立っていて、丸太を製造する会社、下駄枕を作る職人さん、角材だけを作る職人さん、角材から下駄の木地までを作る職人さん、木地から加工して販売をする会社がありました。 しかし、現状では下駄枕の職人さんと木地を作る職人さんがいる会社は、もう1社ずつしか残っていません。どちらかが引退されてしまうと分業が成り立ちませんし、材料の供給が止まってしまいます。 そのため、弊社はいろいろな人の知恵を借りながら工房に機械を導入しています。まだまだ課題はありますが、自社で一貫して製造できる体制を少しずつ整えているところです。 ー職人不足をカバーするために、新しい作り方にチャレンジされているんですね。 そうですね。ただ、新しい作り方を取り入れていくのも大切ですが、やはり職人さんを増やすことも必要ですね。やはり作り手がいないとものは作れませんから、どちらも同時に取り組んでいかなければならないと思います。
ー新しいデザインの下駄は、今後も作られるのでしょうか? はい。職人さんとの出会いがきっかけで新しいアイディアが生まれることもあるので、インスピレーションが湧いたときにアイディアを形にしているんです。“失敗したら、そのときにまた考えよう”という気持ちで、チャレンジを続けています。 職人さんや売り手さんなど、いろいろな人との出会いが現状を変えるきっかけになるので、ご縁は大切にしています。 ーチャレンジする一方で、昔から変わらず大切にしているものはありますか? 日田下駄を知ってもらうツールとして新商品は作っていますが、もの作りに対する姿勢は昔から変わっていません。伝統を壊したいわけではないので、基本的な部分は変えることなく大切にしています。 長い歴史があり、今でも日田下駄が残っているのはとてもすごいことだと思うんです。ただ、それを次の100年につなげるためにどうするかは考える必要があります。 身に着けるものが着物から洋服に変わったり、道路が砂利道から舗装道路になったりと変化していくなかで、昔の下駄のままだと歩きづらくなってしまうので、下駄の裏にゴムを貼るなど、下駄も技術的な進化はしています。 弊社が製造したヒール下駄も、洋服に合わせたときにスタイリッシュに見えるようにと考えて作ったものです。基本は大切にしつつ、現代に合うものを作っていかないと、つくづく思いますね。 これからも、出会いを大切にしながら、日田下駄の歴史をつないでいきたいです。