一生懸命に生きると「私の肘が誰かに当たる」―パニック障害を経たIKKOが語る自分らしい生き方
カリスマ美容家として多くの女性から支持を得るIKKOさん(59)。バラエティ番組ではイジられキャラで視聴者を楽しませる一方、経営者としては一切の妥協を許さず、徹底した気遣いを施すプロの一面も併せ持っています。30代で独立しアトリエIKKOをスタートさせるも、39歳のときにパニック障害を発症。「理想を追い求めるあまり、心身のバランスを崩していた」と当時を振り返ります。パニック障害はIKKOさんの生き方にどう影響を与えたのか、お話を伺いました。(Yahoo!ニュースVoice)
オフモードになれるのは歩いてるときと自分の寝室
――タレント、美容家、経営者を担うIKKOさんですが、自分の時間はどう作っているのでしょうか。 IKKO: 60歳近くになって思うのは、「忙しい」ってやたらと使っちゃいけない言葉なんじゃないかなってこと。忙しいって字は、心を失うって書くでしょう。やっぱり忙しすぎると、知らないうちに自分の心の余裕がなくなって、冷静な判断が失われていく状態になると思うんです。時間は24時間と限られていますから、自分で作って、有効に使っていくことが重要だと感じますね。 それから、私にとっては、準備の時間も大切です。私の場合、ヘアメイクから着付けまでトータル3時間くらいかかるのですが、39歳のときにパニック障害を発症して以来、アトリエでヘアメイクを施し、なるべく時間に余裕を持って現場に入るスタイルになりました。そうした方が余裕を持って動けますし、関係者の皆さんにもご迷惑がかからない。準備の時間は、緊張しがちな自分を整えていくための大事な時間です。 テレビのお仕事、美容家のお仕事、経営者としての立場を担っていると、完全なオフモードになれるのは、歩いているときと自分の寝室に入ったときくらいだと思います。
39歳でパニック障害――徹底して理想を追いかけるあまり苦しくなっていた
――パニック障害を発症したときのことについて教えてください。 IKKO: 病院でパニック障害と診断されたその日から1週間入院したのですが、退院してからが地獄の始まりでした。寒さや人の声を感じる、車から降りられないと想像するとパニックになりました。飛行機や新幹線も乗れない。高速道路や建物の高層階や地下に行くこともできませんでしたし、白い壁を見るとめまいがするようになりました。せっかく新築したばかりの自宅の壁は真っ白でしたから、最悪でしたね。夜になれば発作が起きるのではないかと不安が募ってきて、毎晩のように救急病院に駆け込んでいました。 発症するまでは、休むことなく1日に5本くらい仕事をしていましたから、仕事のことはすごく心配でしたね。でも、最終的にはもう仕事がなくなってもいいやという気持ちでパニック障害であることをカミングアウトしました。自分自身が楽になって、メンタルも安定するのであれば、障害のことをきちんと伝えて仕事をやっていくことが大切なんじゃないかなって。もちろん、皆さんにご迷惑をおかけしないよう、どのタイミングでお伝えすべきかはよく考えましたし、カミングアウトする際も相手側に安心してもらえるようにお伝えしました。 ――背景に何があったのでしょうか。 IKKO: 振り返ってみれば、発症当時の私は経営者として自分の理想を追い求めながらも、うまくいかない現実に絶望感を感じやすくなっていました。育てた弟子たちが卒業しては、新しい弟子が入ってくるサイクルが続くなか、せっかく自分の理想の現場が出来上がったと思ったのにまた一から作りあげなくちゃいけないわって徐々に苦しくなっていたんです。そのときは、新たな指導能力を養う良い機会であり、経営者として訓練をさせられているんだって前向きに考えられなかったの。そうしたことが積もり積もって、色んなバランスが崩れてパニック障害になってしまったんだと思います。