「義足は個性」モデル・海音が自分を肯定できた理由
義足モデルとして、東京五輪の閉会式に出演した海音(あまね)さん。幼い頃からキッズモデルやアイドルとして活動していましたが、12歳のとき、病気で右脚を切断することになりました。当初は義足を知られることに臆病になり、薬の副作用で体重も増え、家にこもりがちになってしまったと言います。しかし、現在は「なぜ義足をそこまで隠していたのだろう」と思えるまで意識が変化。モデルとして再び活躍する海音さんが、どのように難しい境遇を乗り越えることができたのか伺いました。(Yahoo!ニュース Voice)
12歳で義足に。医師から告げられた脚の切断
――海音さんの脚の病気が判明したのはいつですか? 海音: 12歳のときに、指定難病の多発血管炎性肉芽腫症にかかっていることが分かりました。徐々に悪くなっていったので、「ああ、どこか悪いのかな」という程度の思いだったんです。脚はすごく痛かったんですけど、後で切断することになるほど悪いとは思っていませんでした。日に日に悪くなっていくと感じていたんですけど、「いつかは治るかも」という思いの方が強かったです。 わりとポジティブに考えていたのですが、脚が悪くなってから車いす生活になったのはつらかったですね。「一生このまま歩けないかも」と思ってしまって……。「また歩きたいな」「走りたいな」「踊りたいな」と思うと、余計につらい気持ちになりました。 ――右脚を切断することを聞いたときはどんな思いでしたか? 海音: 脚が悪くなっていたので、毎日消毒をしないといけなくて、毎日処置をしていました。ある日、その処置をしていると、お医者さんたちと看護師さんたちがたくさん部屋に入ってきて「脚を切断しなければいけない」と言われました。中学1年生のときでした。 ただ、それまで半年間ぐらいずっとつらい車いす生活を送っていたので、「脚を切断して義足になったら歩けるんだよ」と言われて、正直「あ、また歩けるんだ」とすごく嬉しかったんです。 ――脚を切断して義足になることを、とてもポジティブに受け止めたんですね。 海音: それはきっと両親のおかげです。両親は当時から、「病気になったから」「義足になったから」ということではなくて、本当に変わらずに接してくれました。毎日毎日、ものまねとか面白いことをして笑わせてくれたんです。 父も母もポジティブで、私もそのポジティブさを受け継いだので、今も毎日ポジティブに過ごしています。だから、自分も自然とポジティブな思考なんだと思いますね。