『孫子』は誤解されてきた...「孫子の兵法」を実行しながら天下を取れなかった武田信玄
世界最古の兵書・『孫子』。いわゆる「孫子の兵法」が広く知られるが、実態は謎が多いうえ、必ずしも実用的な内容とは限らない。『孫子』と古今東西の合戦・戦争を長年、研究してきた著者が、近著『戦略大全 孫子』より実例を挙げて世間の誤解を正す。 三国志やキングダムは好きだけれど、現代中国は嫌になったあなたへ...「中国ぎらいのための中国史」 ※本稿は、海上知明著『戦略大全 孫子』(PHP研究所)から一部を抜粋・編集したものです。
具体策が提示されない書物
世に兵書は数多く存在するが、その中でただ1冊を挙げよといわれれば、多くの人は『孫子』の名を挙げるのではないか。 『孫子』は最も普遍性が高い戦略書であり、西のカール・フォン・クラウゼヴィッツ『戦争論』に対する東の『孫子』という対置関係になるだろう。『孫子』は戦略書の王者ともいえる。 では『孫子』とは、どのような目的で、なぜ書かれたのだろうか。 『孫子』は、現存するものとしては最古の兵書である。最初の兵法は孫武よりも70~80年前、中国春秋時代の楚の公族・政治家で楚の荘王、後には晋に仕えた呉の申公巫臣(しんこうふしん)によるものではないかとされているが、現存していない。 それどころか、漢の高祖・劉邦の命で韓信と張良が集めたとされる182種の兵書もほとんど残っていない。その中で『孫子』が残り続けた。 世界最古ということは、その価値が高いから残ったということになるかもしれない。『孫子』を読めば名将になれるのか、筆者なども最初に『孫子』を読んだときには大いに期待した。 結果的には読んでガッカリ、ともかく大いなる失望を味わったのである。こうした『孫子』を読む際の期待と読んだあとに味わう現実のギャップは、多くの人が経験するのではないだろうか。 読む者を超人、名将としてしまうのが兵法書ということになっている。ところが実際はマニュアルではないから、書かれていることの応用は各人の創意工夫まかせということになる。戦略書と呼ばれるものでも、マニュアル化されているのはアンドレ・ボーフルの戦略論のような少数に限られる。『孫子』は、その中でもとくに具体策が提示されない書物である。 世界一普遍性をもった戦略書である『孫子』であるが、『孫子』のもつ普遍性は抽象性によってもたらされている。「戦争の様相は変化するが、戦争の本質は不変である」。戦争の様相を重視すると応用も簡単で実用的になるが、時代が変わると役に立たない。戦争の本質を重視すると普遍性・哲学性を有するが、抽象的な記述となり、応用が困難になる。 しかし抽象的な『孫子』に書かれている内容を、具体的な姿として実現できる者がいたら、それこそが真の名将なのである。