大人にもあるイジメの輪には近づかない。友達は少なくていいと、心から思える50代
料理家として多くの本を出すかたわら執筆した初エッセイ、『50歳からのごきげんひとり旅』(大和書房)は、12万部の大ヒット。50を迎える直前に、30年ぶりに復活させたひとり旅について書いた本は、多くの読者の共感を得ました。 【マンガを読む】中学の頃から…自己愛性パーソナリティ障害の”友人”の恐怖 そこから数年、思わぬ怪我にびっくりしたり、母の死をきっかけにいろいろ考えることが増えた心境を、山脇さんはこうつづっています。 ____ なんでもないところで転んで泣き苦笑いして、やっと他人ごとではなく、私に起きていることとして強く意識しました。それに50代半ば過ぎてからわが身におきた変化は転倒だけにあらず。 たとえば忘れ物もほんとにすごくて、その日いちばん大事なものをしかも玄関に忘れたり、うっかり多発すぎて冷蔵庫や玄関のドアに付箋を貼るようになって、ニワトリと自称しています。白髪で薄毛で、腕が細くなったと思ったら、筋肉が落ちただけと気がついたり、目尻だけでなく瞼もたれるし、フレンチブルからブルドッグへ顔の四角化も進行しています。 瞬発力がなくなって、気の利いたことがすぐに言えない、肝心な言葉が出てこない、 ぱっと喜べないし、怒れない。 還暦を迎える前に、少しずつ準備をしておいた方がいいのはまちがいないなと思う ようになりました。 _______ そんな思いから、新刊『ころんで、笑って、還暦じたく』(ぴあ)を書いたそうです。 本書の中から、3回に分けて抜粋記事をお届け。 3回目の今回は、友達は多いほうがいい、という呪縛から逃れられたです。
友達100人なんて無理に決まってるじゃん
50代になってやっと、友達は少ないです、と言えるようになりました。 というかそもそも何をもって多いと言うのかもわからないし、少なくても、なんなら、いないと思っていても、本人がよかったらいいのです。 私の場合は「友達は多いほどいい」という呪縛にとらわれていました。 大勢の友達に囲まれていて、みんなが集まってくる人にあこがれと羨望の眼差しを向けていたのです。すごいなー、あんなふうになれない自分には何か欠陥があるのかなあ、 何がいけないのかな、と思うこともありました。 一方で私は社交的でもないし、引きこもりがちだし、胸襟を開くのがかなり苦手。大勢の会に出るのも苦手、そう見えないようにふるまいつつも、極度の人見知りです。ひとりっ子なのも影響しているかもしれません。 「人に好かれる人の習慣」や「友達がたくさんできる人がやっていること」を紹介した、ある本を立ち読みしていて(買いましょう)、心理学の世界にペーシングというコミュニケーションスキルがあると知りました。 言葉によるコミュニケーション以外で、相手の警戒心を取りさり、肯定されているという安心感を与え、信頼関係を作る効果があるそうです。具体的には、話すスピードを相手に合わせる、声の高さや大きさを合わせる、相槌を打つ、うなずく、など。その本にはさらに、似たような服を着る、同じメニューを食べる、なども心を開き「好きになってもらう」方法の例にありました。 正直、なんと ! と驚いて30メートルくらい「引き」ました。知り合ってしばらくはうまくいくのかもしれないけど、いずれ馬脚を現し破綻するんじゃないかと、老婆心ながら思ったのです。 たとえば営業職や、販売員の仕事で短時間に信頼を勝ち得る必要がある人もいるかもしれませんが、そもそもみんなそんなに、話すスピードを変えてまでも、人に好かれたいのか ? と思いました。ところが案外こういう本は多くて「好かれる技術」のニーズが確実にあるようです。みんなに好かれる=嫌われない=生きやすいってことなのかもしれません。 やっぱりたくさんの人に好かれた方がいい、友達はたくさんいた方がいい、という価値観が絶対なのかな。でも、そんなことないんじゃないの ? 決して率先して嫌われたくはないですが、嫌いなものは仕方がないでしょう。 友達100人できるかな♪ と歌う中で育ったけど、なんであんな歌が推奨されたのか。 今は、「ムリムリ、知り合いはできても友達はそんなに作れないし、たくさんは大切にできないから」と言えるようになりました。 そして、できたら好かれるより、好きになりたい。100人に好かれるより、ものすご く好きな人がひとりいる方が満ち足りるんじゃないの ? と負け惜しみではなく思います。