水森亜土「両手で絵を描くパフォーマンスは、お母ちゃんのアドバイスから。悲しいときはピンク色で絵を描いて。今はお風呂で歌を歌っているときが幸せ」
◆やっぱりお母ちゃんは強かったんだな 生まれは日本橋室町。メタンガスの泡がぶくぶく浮かぶ日本橋川を、お風呂に浸かりながらじっと眺めたりしてました。 お父ちゃんは建築家だったけど遊び人で、しょっちゅう女優の木暮実千代さんやお友達とマージャンやってて。お母ちゃんは画家で、趣味もたくさんあって、忙しい人だった。 私の絵を見て、「おまえの絵は根本的に間違ってる。手はあんなところから出ないわよ」とか、うるさいの。そう言われるとますます、「じゃあ、直すのはやめよう」と思っちゃう。絵なんだから、手は変なところから出たほうが面白いじゃない? 現実から離れられるのが絵のいいところだと思うから。 お母ちゃんには「おまえはヘンテコ」とよく言われて、でもほかにどうやったらいいかわかんなくて、ずっとヘンテコできたの。 高校を出た後、美大には全部落ちちゃって。行くとこがなかったとき、お母ちゃんがハワイに留学させてくれた。絵と音楽にたっぷり浸って楽しかったな。
それから日本に帰ってきて、テレビで歌いながら絵を描くお仕事を始めたんだけど、これもお母ちゃんのおかげで。 オーディションを前に、「おまえね、美大出のすごい人は大勢いるんだから。人前で描くときは人と同じことをしちゃダメだよ。ちょっと工夫して、違うことやんな」ってアドバイスくれて、両手で絵を描くパフォーマンスを思いついたの。 私は左利きで、子どもの頃に矯正されたから、両方使える。ズボンの7つのポケットにいろんなペンやカラースプレーを入れて、一曲歌う間に透明なアクリル板に両手で絵を描いていくの。 歌いながら描くと口の中にカラースプレーが入ったりしたけど、子どもたちとはしゃいでできたから楽しかったな。あの番組には10年以上出演しました。 その頃は、収録帰りにお買い物するのも好きだった。香水や布地を買ったり、ダンス衣装のお店で、「バレリーナになりたいなぁ」って妄想したり。お買い物の後はちっちゃなラーメン屋でお腹いっぱい食べると、幸せになった。 一番落ち込んだのは、お母ちゃんが死んだとき。私が劇作家(故・里吉しげみさん)と結婚して、お芝居に出ていた頃、銀座の博品館劇場での公演中に亡くなって。舞台は何日も続いたけど、悲しすぎて、台詞を全部忘れちゃったりも。半年くらい、どこに行ってもメソメソしてた。 そのときも、音楽にはずいぶん助けてもらったなぁ。ジャズ歌手として脂の乗っていた時期だったので、歌を何十曲と覚えなきゃいけなくて。忙しかったから、落ち込んでる場合じゃないっていうのもあったかも。 お母ちゃんが亡くなってから、お父ちゃんはよくうちに来て徹夜でマージャンをしてた。気を紛らわせたかったんじゃないかな。昔から知ってる吉行淳之介さんや色川武大さんが、マージャンにつきあってくれてた。 でもね、男はかわいそうよね。悲しみのこらえ方が下手というか。お母ちゃんはそういうとき、ひとりで絵を描いたりお花を活けたりして心を慰めてた。お母ちゃんは強かったんだな。