芥川賞・朝比奈秋さん 小説病に憑りつかれ、勤務医を辞め無職に。「作家にはならせてくれよ」 小説家になりたい人が、芥川賞作家になった人に聞いてみた。(特別版)
自分が空っぽになる喜び
ご自身と小説の距離をどう考えていますか。受賞のことばでは、「私は通路」と書かれていました。 「距離はゼロですね。書いている時は俯瞰していてもどこかで物語と繫がっている感覚があります。今作で言えば杏と瞬、両方の気持ちになりました。杏とくっついているときは、心から一人になりたいと思いました。一人だけの体を持ちたいし、一人だけの思考、気持ち、感覚になりたい。瞬とくっついているときは、二人のままずっと溶け合っていたい、二人で本当によかった、と思っていた。そういうふうにおのずと伝わってくるものを僕は書くだけ。自分が小説を作り出しているのではなくて、まず物語があって、それを書き表した小説があって、僕はその間の通路として、ストローで吸ってあっちからこっちへ移動させるというイメージ。ただ、スムーズにはいかない。僕の中の偏見や間違いが目詰まりを起こす。どういうことなんや、と考え続ける。物語がぐわーって圧力がかかった時に、その目詰まりがぽろっと取れて、ようやく小説になる。だから、自分が空っぽになればなるほど、かすかな喜びを感じるんです」 それってすごい。「自分」というものが一切ない小説。無我の境地を目指す修行のような小説。 35歳の朝比奈さんに降ってきた、偉いお坊さんが木こりと出会う物語。仏にまつわる物語なのだそう。 「自分の身の丈をはるかに越えた題材だったので」完成させられなかったというその小説は、この瞬間もずっと続いているように感じた。木こりは今も一人、山の中で木に斧を振り下ろし続けている。 いつ、頭の中の小説が止むと思いますか。 「もう諦めています。これは一生続きます」
芥川賞作家になった人
朝比奈 秋(あさひな・あき) 1981年生まれ。京都府出身。2021年「塩の道」で第七回林芙美子文学賞を受賞しデビュー。2023年、『植物少女』で三島由紀夫賞を受賞。同年、『あなたの燃える左手で』で第51回泉鏡花文学賞、第45回野間文芸新人賞を受賞。2024年、『サンショウウオの四十九日』で第171回芥川龍之介賞を受賞。現在も月に2、3回程度、消化器内科医として勤務する。「小説に侵食されないギリギリの範囲です」
【芥川龍之介賞】
雑誌(同人雑誌含む)に発表された、新進作家による純文学の中・長編の中から、最も優秀な作品に贈られる賞。現在の選考委員は、小川洋子・奥泉光・川上弘美・川上未映子・島田雅彦・平野啓一郎・松浦寿輝・山田詠美・吉田修一の各氏。次回は2024年6月から11月までに発表された作品が対象。選考会は2025年1月中旬に行われる。 【賞】懐中時計、100万円 ※公募制ではない 【次回予告】次回は、第171回芥川賞を朝比奈さんと同時受賞した松永K三蔵さんにインタビュー予定。
朝日新聞社(好書好日)