芥川賞・朝比奈秋さん 小説病に憑りつかれ、勤務医を辞め無職に。「作家にはならせてくれよ」 小説家になりたい人が、芥川賞作家になった人に聞いてみた。(特別版)
小説家志望のライター・清繭子が、文芸作品の公募新人賞受賞者に歯噛みしながら突撃取材するこの連載。今回は特別版「小説家になりたい人が、芥川賞作家になった人に聞いてみた。」。純文学系新人作家の登竜門である芥川賞を『サンショウウオの四十九日』(新潮社)で受賞した朝比奈秋さんに〝芥川賞作家になるまで″について聞きました。医師として働くも35歳のある日、小説に憑りつかれ、ついには無職に。以来、5年間の公募時代も、芥川賞受賞後も、何ら変わらず小説病の真っ只中にいるという――。(文:清 繭子、写真:武藤奈緒美)
【あらすじ】
第171回芥川賞 受賞作「サンショウウオの四十九日」 杏と瞬は双子。でも、周りからは一人の人間に見える。部分的に結合している他の結合双生児とは違い、ひとつの体を二人で完全に共有している。そのとき、心は、意識は、生命は、どちらのものになるのか――。杏は/瞬は、二人で暮らし、一人一人で考え続ける。
論文を書いているときに「降ってきた」
それ自体、純文学のような話だった。 「34歳か35歳、胃腸の医学論文を書いているときに、パッと場面が浮かんできたんです。偉いお坊さんが山中で木こりと出会い、あまりにも見事に木を切るので思わず見とれてしまう、というものでした。その場面が頭から離れず、文字にしてみると、どんどん物語が進んでいく。進んでいくから書くしかない。400枚くらいになってピタッと止まった。その前後にまた別の物語が浮かんできて、書き出す。それを繰り返すうちに、とうとう目の前に死にそうな患者さんがいても物語が浮かんでくるようになって。こんな状態で仕事をしてはいけない。選択肢はなかった。病院を辞め、フリーの医者となり、週3勤務が週2になって週1になって、やがて全くの無職になりました」 どうせなら誰かに読んでもらおうと2番目、3番目に書いた2作をすばる文学賞に出すと、そのうちの一つが2次選考を通過。以降、出来上がるたびに一番締め切りの近い純文学の公募に送った。2~3年経ったころ、文學界新人賞の最終候補に残る。 「その時、傲慢にも思ったんです。『せめて、作家にはならせてくれよ』と。今までまじめに生きてきたのに、小説が頭に浮かぶようになってから、仕事や人間関係など、人生で築いてきた社会的基盤のほとんどを失った。ひたすら家でHotto Mottoの弁当を食べながら小説を書いている。職業作家にはならせてもらう、と応募し続けました」 それでも、賞に合わせて傾向と対策を練ったり、小説教室に通ったりすることはなかった。 「ひたすら頭に浮かんだものを書くだけ。こっちのほうが面白いからと変えようとしても、書いてみるとやっぱりそうじゃない。書くと、思い浮かんだことが忘れられて次に進めるから、書いているんです。それは今も。書くしかないから書いている」