芥川賞・朝比奈秋さん 小説病に憑りつかれ、勤務医を辞め無職に。「作家にはならせてくれよ」 小説家になりたい人が、芥川賞作家になった人に聞いてみた。(特別版)
肩書きは書くことに無関係
林芙美子文学賞を受賞するまで、年に5~6作応募し続けた。30作中約20作は1次落ち。3~4作が2次や3次通過。受賞作を含めて4作が最終選考に残った。小説に憑りつかれて5年、受賞したときはさぞかしホッとしたでしょうね。 「それまでに最終選考落ちを3回経験し、受かってもすべってもおんなじだと開きなおってしまったんです。結局、頭のなかの小説は止まず、次の小説にまた憑りつかれるだけだと。だから林芙美子賞の選考会の日も担当編集の方から連絡いただくまで忘れていたくらい。受賞したときも、これからは応募じゃなくて直接編集者に渡せるんだ、と思った程度でした」 でも、無職からやっと「小説家」という肩書きが得られたわけじゃないですか。 「時間が経つほどに、そのありがたみは感じています。肩書きは〈書く〉という本質には一切関係ないとはいえ、職業作家になってよかったのは間違いないです。それまで美容院で職業欄に〈無職〉と書く時に、ふつうに医者を続けている同僚たちをうらやましく思った時期もあったので」 その間、自分の才能を信じていましたか。 「小説に限らず、〈才能〉というものに興味がないんです。医学部時代の友達に、1回見たら全部覚えられる人とか、医学部在学中に他の分野の難関資格とる人とか、いわゆる才能に恵まれた人たちはいましたけど、すごいとは思わなかった。子供の頃から、人間とは、生命とは、自分とは、一体なんなんだろう、といったどうにもしようがないことに疑問や興味を持つタイプだったので。生まれもった能力の範囲内で器用に効率よく生きている人たちよりも、秀でた能力がなくても、どうしようもない困難を抱えながらも一生懸命生きている人、苦しみに耐えている人に凄みを感じます」
小説に憑りつかれた理由
林芙美子賞受賞作「塩の道」は無医村に派遣されるお看取り病院の医師の話、三島由紀夫賞受賞作『植物少女』は植物状態の母と生きる娘の話、そして結合双生児の姉妹を描く本作。生命への哲学的な興味は幼い頃から持っていたそうですね。医学でも哲学でもなく、文学でそれに取り組むようになったのはなぜだと思いますか。 「ある時から病気であることと健康であること、障害があることと健常であることの違いが感覚的にわからなくなった。病気でなくとも人間全員が病んでいるように感じられた。でも、その感覚は医者としてはダメじゃないですか。医者は科学的に患者を診断して病気を治す、というのが仕事ですから。だから医学では無理でした。哲学も別に論文を書きたいわけじゃない、人に広めたい哲学もない。芸術だけが、何を書こうが、思おうが、自由だったんです。ただ、そのままでよかった」 表現欲求や承認欲求はありますか。 「それがなかったことが、小説に憑りつかれた理由かもしれない。子どもの時からインプットばかりでアウトプットはしてこなかった。アウトプットしたいという欲求すらなかったんです。ただただ『なんでやろう』と考える。ひたすら飲み込み続ける。表層や中層で表現してみるということも一切しない。それが35歳のあの時に弾けて、書きはじめたら止まらなくなった。今ではそういうふうに自己分析しています」