『燕は戻ってこない』原作者とプロデューサーが語る「女であることで受ける理不尽」と「ラベリングされる不自由さ」
◆彼女を復権させてあげたい気持ちがあった 桐野 塙玲衣子のモデルは、1970年代に「中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合」(中ピ連)の代表だった榎美沙子(えのき みさこ)さんです。 板垣 実は『オパールの炎』を読むまで、榎さんのことを知りませんでした。 桐野 板垣さんの世代なら、知らない方のほうが多いでしょうね。彼女が中絶の自由化とピルの解禁を訴えたのは、自分の体を自分で管理し、管理する方法を自ら選び取ることでしか女性の真の解放はない、と考えていたから。 京都大学薬学部を卒業した薬剤師として、その主張をしていました。私は少し年が下ですが、20代の初め頃に彼女の存在を知り、「いいこと言ってるなあ」と共感したんですよ。 板垣 桐野さんは、同時代に彼女を見てきたんですね。 桐野 そうしたら、いつのまにか不倫をした男性の会社に行って弾劾する、といった派手なパフォーマンスをするようになっていった。政界進出まで目指して。ピエロのような扱いをされて、あっという間に世間から忘れ去られました。 板垣 榎さんは優秀なうえ、美人だったそうですね。それは武器でもあったけど、逆に弱点でもあったのかな、と感じてしまいました。 男性も彼女を敵視しただろうけれど、周囲の女性からも「私たちとは違う」と一線を引かれたんじゃないかって。むしろ女性を味方につけるためにピエロにならざるをえなかったのかもしれませんね。 桐野 そう思います。私は高校から大学にかけて学生運動が盛んな時代を過ごしています。学生時代、貧困と闘って連帯しているシングルマザーのコミューンを訪れたことがあるんです。みんなすっぴんで、皆の赤ん坊を全員で育てていました。 私を見るなり、「あなた、なんで口紅つけてるの? どうせ親から買ってもらったんでしょ」って。話もしてもらえなかった。社会運動はいろいろな立場の人が手を携えることが理想ですが、分断が生じやすい場でもありますね。