『燕は戻ってこない』原作者とプロデューサーが語る「女であることで受ける理不尽」と「ラベリングされる不自由さ」
板垣 どの仕事もそうだと思いますが、ドラマプロデューサーという仕事もけっこう大変で。私は器用なほうではないので、何度も何度も迷った末に結婚と出産は諦めました。実際、選択しなければならない状況に置かれたんですけれど……。 ここまで頑張っても、まだ「女だから」という目でしか見られないのか。その日、家に帰って泣きました。そうしたら、これまで見ないようにしてきたことがいろいろ思い出されてきて。 桐野 「実は、あれはイヤなことだったのだ」と? 板垣 はい。なんとも思わなかったのではなく、無意識に心に蓋をして、「イヤなことだった」と思わないようにしていただけなんだとわかったんです。それをひとつひとつ考えていたら、猛烈に怒りが湧いてきた。「こうなったらすごいドラマを作ってやるぞ!」って怒りが燃料になりました。これが復讐心です。 桐野 思い出したなかに、どんな「イヤなこと」があったんですか。 板垣 大小さまざまありますけど(笑)、小さなことで言えば、たとえば「板垣は気が強いから」としょっちゅう言われたな、とか。考えてみたら、「気が強い」って女性に対してしか言わない気がして。 桐野 確かに。男性に対してはほとんど使わない表現ですよね。そういえば私の兄弟は、私の夫に「こんな気の強い女をよくもらってくれた」ってすごく感謝するのが頭にきます。あんな変わった人と結婚してあげた私が感謝されたいくらいなのに(笑)。要は、もの申す女は男にとって都合が悪く、面倒くさい存在なんでしょう。 板垣 女性には従順でやさしく、気が弱くあってほしいというのが多くの男性の願望だから、この表現が一般的に使われているんじゃないか。 ……そんなふうにいろいろ考え出すと、思考が徐々に先鋭化していきますよね。もしかしたら、桐野さんの新著『オパールの炎』の主人公・塙玲衣子(はなわれいこ)も同じだったんじゃないかと思ったんです。