里中満智子「なぜマンガ家になりたいと思ったのか。約60年描き続ける原点は、小学6年生で起きた考え方の変化」
◆いったい何になりたいんだろう では、何をしたらいいのだろう。私がやりたいことは、まず、世の中のマンガを守ること。そしてできれば、性別に関係なくできる仕事がしたいと思いました。「男女同権」という言葉をよく耳にするようになっていた時代だったのです。 「マンガ家」は、こうした条件にぴったり合うように思えました。男女どちらでも作品だけで勝負できるし、私の小学生時代は、男性もたくさん少女マンガを描いていました。性別を特定されたくなければ、ペンネームを使うことだってできるのです。 中学2年生のとき、進路指導の時間がありました。 といっても「どの高校を受験するか」を決めるだけの時間です。学校はどんどん新設されましたが、追いつかない。狭き門で高校受験だけでも大騒ぎでした。今だったら流行語大賞を取れるくらい、世の中みんな「狭き門」と繰り返していましたね。 それで進路指導の時間までに「将来について考えてこい」と言われたので、私は必死に考えました。私はすごく真面目で、融通の利かない面白くない人間なのです。「将来」について考えて、先生と話さなければいけないと思い込んでいました。 将来というのは、どこの高校を受験したいかという話だけだったのですが、私はどこの大学に行くかで、どこの高校を受験するか決まるだろうと思いました。 でもその前に、将来何をやりたいかを決めないと、大学の学部も決められない。どこの大学にどんな学部があって、どんな特色があるのか分からないから、大学も決められないし、つまり高校も決められないのです。 だから進路指導の前に、将来何になりたいかを決心しないといけないと思ったのです。 「はて、私はいったい何になりたいんだろう?」 小学校の頃は、訳も分からず天文学者に憧れていました。中学校に入ると、物理学者もいいななどいろいろ考えていました。まだ勉強もそれほど難しくなかったので、深く考えもせずにそんなことを言っていたのですね。でも天文学者になりたかったのは、単に宇宙旅行に行ってみたいという夢のような理由からでした。
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