ススキノ事件、宮﨑勤と精神医学の無力さ 香山リカ
札幌の繁華街・ススキノのホテルで男性が遺体で見つかり、親子3人が起訴された事件。 この11月20日に母親の6回目の公判が札幌地裁で行われ、証人として出廷した父親に対して、検察による反対尋問が行われた。精神科医であったこの父親は殺人などを手助けした罪に問われており、初公判は来年1月に予定されているのだが、すでに保釈されていることがわかった。 これまでの報道や母親の公判では、娘が“自分ファースト”で接するよう両親に強要し、奴隷のように扱ってきた、という特異な家族関係が明らかになった。また娘は、自らを「シンシア」と名乗って家族にもそう呼ばせ、本来の自分の魂は両親のせいで死んだとして責め続けていたという。 医学的診断としては、この「シンシア」が妄想の産物であれば統合失調症、人格が解離してできた別人格だとすれば解離性同一障害(多重人格)、さらに「シンシア」は妄想や確固とした別人格ではなくて、娘が作り出した空想の存在であれば境界性パーソナリティー障害などのパーソナリティーの問題ということになるだろう。 娘については、起訴前の鑑定留置中の精神鑑定では「責任能力に問題なし」との結果が出ているが、弁護人が刑事責任能力を調べるため再度の精神鑑定を請求。札幌地裁はこれを受け、別の精神科医による精神鑑定の再実施の決定を下している。 娘の公判ではその内容も証拠として提出される予定なので鑑定での診断名も明らかになるだろうが、先にあげた三つのどれか、あるいはそこに「発達障害」といった(ある意味、現代的な)診断も加わる可能性があるのか、現時点ではまったくわからない。おそらく、鑑定にかかわる精神科医やその周囲で診断名をめぐっては激しい議論になるのではないだろうか。
自分で書いておいて解説をするのも無粋だが、ここで「まったくわからない」としたのは、精神医学という学問ならびに治療実践の方法論への皮肉のつもりだ。極端なことをあえて言えば、結局、精神医学では、統合失調症か、解離性同一障害か、パーソナリティー障害か、それが起きる原因も治療法もまったく異なるこの三種類の疾患のどれかさえ、すぐには診断がつかなかったり間違ったりしてしまうのである。 ここで、ある種の既視感を抱いた人もいるのではないか。1988年から89年に東京都および埼玉県で計4人の児童が殺害された東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の犯人・宮﨑勤の精神鑑定で出された診断名もこの三種だったのである。 あの事件で犯人は、被害女児の遺体の一部を遺棄したり「今田勇子」の名前で犯行声明や告白文を遺族やメディアに送りつけたりして、世間を恐怖に陥れた。逮捕後、起訴前の鑑定留置での簡易鑑定の結果は、「精神分裂病(現・統合失調症)の可能性は否定できないが、現時点では人格障害(現・パーソナリティー障害)の範囲に留まる」とされた。 問題が起きたのは、公判が始まってから弁護人が請求した精神鑑定においてであった。一度目の鑑定の中心的役割を果たした保崎秀夫氏は、「事件当時は人格障害ではあったが精神分裂病などの状態ではなく、完全責任能力を有していた」という鑑定結果を提出。 ところがそれが証拠として採用され、公判で被告人質問が開始されると、宮﨑は「祖父の遺骨を食べた」「ネズミ人間が現れたなど常識的には理解不能の発言を連発したため、弁護側は再度の精神鑑定を請求。裁判所はそれを受け、3人の精神科医が再鑑定を行うことになったのだが、診断をめぐっての議論がまとまらず、3人はついに決裂することになった。 1995年2月2日に1年11か月ぶりに再開された公判で、3人の精神科医のうち中安信夫氏が提出した鑑定書で、宮﨑は「『解離性家族』を背景にした妄想が発展し、祖父の死を契機に多重人格を主体とする反応性精神病の状態(精神分裂病に近い状態)にあった」とされていた。端的にいえば病態の中核は「精神分裂病(現・統合失調症)の初期段階」ということだ。またその責任能力については、「是非善悪の識別能力もその識別に従って行動する能力も若干減弱していた」とした。 残りの内沼幸雄氏と関根義夫氏の鑑定書では、宮﨑は「高校時代までに精神分裂病を発症しており、祖父の死によって攻撃性などが強まり多重人格状態にあった」とされていた。この鑑定では、診断の重みは「多重人格(現・解離性同一性障害)」の方にあった。内沼氏は、宮﨑の中には「第一人格…宮﨑勤自身で、非常に幼稚な人。しかし、『自分が自分であって、自分でない』と見事な表現をする、哲学者みたいな人格でもある。このように被告人自身に、幼稚な人と、哲学者みたいな人が混在する」「第二人格…子どもで、衝動的な殺人者」「第三人格…冷静な人物」「第四人格…“今田勇子”で『犯行声明』と『告白文』を書いた」「第五人格…最初の鑑定人のグループに『あなたを断る』という手紙を送った」と5人の人格が存在している、と指摘している。なお責任能力については、「是非善悪を識別する能力はほとんど保たれてはいたものの、行為を制御する能力を欠いており、免責範囲は少ないが心神耗弱状態であった」となっていた。