ススキノ事件、トラウマ、逆境的小児体験 香山リカ
ススキノの首切断事件の主犯とされ、家庭では両親を支配下に置いていたことが母親の公判などで明らかになった女性が、何らかのトラウマ経験者の可能性がある、という話を述べたことがある。それは、女性が単に両親を奴隷のように扱い、家庭内で君臨していただけではなく、解離性同一性障害、いわゆる多重人格のような状態であったことが、公判の証人として出廷した父親の口から語られたからである。 もちろん、たとえば境界性パーソナリティ障害のように身近な人を操作し、家族を支配しがちな人たちも、よく「私はジャスミン」などと別の名前を名乗り、いつもとはまったく違う振る舞いをすることもある。ただ、それは妄想に近い空想(ファンタジー)と考えられ、その別の名前を持った人格が何年も固定して存在することはまずない。 ススキノ事件の場合、女性は10年以上も、本名の自分は死んだとして、別の名前で自分を呼ぶよう両親に要求し、その人物としてすごし続けたようだ。これは、パーソナリティ障害で見られる「別の私」のファンタジーとは少し違うように思う。 もし、女性がトラウマ経験者でそれにより人格が解離し、今回の犯罪もその人格が起こしたとしたらどうなるのだろう。解離性同一性障害が多重人格という呼ばれ方で人口に膾炙(かいしゃ)するきっかけとなったダニエル・キースのノンフィクション『24人のビリー・ミリガン』の主人公は、この障害が理由となって犯罪の責任能力を問われず、病院に入院となった。しかし、アメリカでも日本でも、重大な犯罪で裁判となり、人格の解離を理由に無罪となったケースは、それ以外にはない。 今回の事件での女性の簡易鑑定の結果は「責任能力は問える」という以上には明らかにされておらず、それがどういう意味なのか、たとえば解離性同一性障害や妄想が生じる統合失調症などの疾患が認められないということなのか、それとも何らかの精神疾患はあるが裁判には問題のないレベルということなのかはまったくわからない。ただ、女性本人の公判が始まれば、このへんのこと、つまり幼小児期に何らかのトラウマを経験しているか否かといったことも、次第に明らかになるはずだ。 両親がここまで本人に従属してなんでも言うことをきいていたのは、もしかすると親もトラウマとなったできごとをよく知っているか、あるいは親族が何らかの形でそれにかかわっているかといった事情があったからではないか、と考えることも不可能ではないが、それは少し想像を広げすぎかもしれない。