ススキノ事件、宮﨑勤と精神医学の無力さ 香山リカ
結局、裁判では一審、二審、上告審とも完全責任能力を認め、2006年2月、死刑が確定する。最高裁判決は、「主たる動機は、性的欲求や、死体などを撮影して自分だけの珍しいビデオテープを持ちたいという収集欲に基づく誠に自己中心的かつ非道なもので、およそ酌量の余地がない」と述べ、精神鑑定の結果が考慮されることはなかった。 宮﨑勤の精神鑑定にかかわった精神科医たちは、いずれも我が国を代表するその分野の権威である。それが、診断名も責任能力の有無や程度もまったく異なる鑑定結果に至ったわけだ。この「三通りの精神鑑定書、三つの診断名」はその後、精神医学の内外に波紋を投げかけ、中安信夫氏が『宮﨑勤精神鑑定書別冊 中安信夫鑑定人の意見』(星和書店)という著作でほかの鑑定を批判的に論じるなど、専門家内での論争も巻き起こった。 その間、宮﨑は本誌編集部と膨大な書簡のやり取りをしてそれが著作にもなったが、それを読んでも率直に言って、精神医学的な診断を下すのはかなり困難である。「正常か異常か」と問われれば、そもそもあのような犯罪を重ねてきたこと自体「異常」なのだが、その異常さが精神医学的な診断概念にあてはまるものかどうかはわからないし、まして一つの疾患の診断基準に合致するものでは到底ない。 現場検証や公判で見せる顔はいつも無表情で、本誌編集部と交わした膨大な書簡をまとめた書籍のタイトルが『夢のなか』『夢のなか、いまも』(創出版)であることからもわかるように、「今でもさめない夢を見ているような…すべてその夢のなかで起こったような感じがしている」などと語ったこともある。理解力には問題がなく、自らが犯した重い罪に対して事実は十分、認識しているものの、それと現在の自分とのあいだには距離を感じており(精神医学で言う「疎隔化」)、そこだけを見ると解離性同一性障害の手前の離人症性障害という診断に適うようにも思える。 ところがその一方で、フジテレビが入手した取り調べの音声テープを元にまとめられた『肉声 宮﨑勤 30年目の取調室』(安永英樹、文藝春秋)を読むと、刑事の追及に防戦するかのように的確に言葉を繰り出している一面もあり、「夢のなか」といった供述や精神鑑定での陳述は演技、つまり詐病だという説も根強い。先の書簡集などを読んでも、深い内省などはないが、本人の興味のある話題に関してはごくあたりまえにコミュニケーションが取れることがうかがえる。もっとも、このような犯罪を起こしておきながら編集者と平然と書簡をやり取りすること自体、常識では考えられないとも言えるのだが、少なくとも人格や知性が崩壊していく進行性の精神疾患ではないことはたしかだ。 いずれにしても、結局、精神医学では宮﨑勤を評価したりその心理を解き明かしたりすることはできず、3通の精神鑑定書により「精神医学は不確かであてにならないもの」という印象だけが世間に広まったのではないだろうか。