中野翠「90歳で亡くなった母の日記を発見。家族にとっては貴重な記録。これからは自分史年表に、日々の暮らしもつけ足していく予定」
◆母が亡くなった後に見つけた1冊のノート 当初は、自分だけの備忘録のつもりでしたけど、この年表を読み返してみると、自分以外の人にとっても、なんらかの役に立つ記録になっているかもしれません。 一世を風靡した有名人や著名人に限らず、私のような一介の物書きや、ごく平凡な生活を送っている人の場合でも、自分が生きてきた日々の記録を残しておくことは、残された人たちにとってもきっと意味がある――のではないか、と。 というのも、90歳で亡くなった母の遺品を整理していたら、そのなかに1冊のノートを見つけたんです。子どもの頃、私が数ページ使っただけで残してあった学習ノートの余白のページに、母の日記のようなものが書いてあって。 別に、自分の心境を綴ったような深刻な内容ではなく、その日に何を買ったとか、何を食べたとか、子どもがケガをしたとかの、日常生活のほんの些細な出来事を書き留めたものなんですけどね。 でも、それだけでも娘の私にとっては貴重な記録です。毎日、ほんの数行書いてあるだけですが、その日記を読み返すだけで、まるで古い映画を観ているかのように、当時の家族の暮らしぶりや、四季折々の庭の景色などが鮮やかによみがえってきます。 また、当時の100円がいかに価値あるものだったのか、雪が降ったらどこまで雪かきすればいいのか、という昭和の暮らしぶりがリアルに伝わってくるのも面白い。
自分史というほど大げさなものじゃなくても、こうした日々の暮らしの記録を残しておくのは、家族をはじめ親しい人たちにとっても意味あることだと言えるでしょう。 仕事の変遷をメインに作った私の年表には、そんな日々の暮らしの記録も、この先、つけ足していく予定です。 右横にもう1枚原稿用紙を貼りつけて、それぞれの年代に、買ったお気に入りのものや旅行した場所などを書き留めていけば、その時代の空気がいっそう鮮やかによみがえるんじゃないかな。 そもそもは、「原稿を書くときに便利」くらいの気持ちで始めた年表でしたが、社会に出てからこれまで、ザッと半世紀に及ぶ日々を回想したことで、「自分の人生はなんて幸運だったんだろう」と、あらためて実感することもできました。 自分史に書き留めるほどの大病も大ケガもせず、寝込むほど傷つくこともなく。独身で通してきた私のことを両親はずっと心配していたけれど、いやいや、私の人生、上出来じゃんって。(笑) なによりも、「書く」という好きな仕事を78歳になる今日まで続けてこられたことが一番の幸運です。恵まれた人生に、心から感謝しなきゃいけないなって。そう思うことができたのも、自分史年表を作ったおかげかも。 仕事を続けていく限り、この年表も続いてゆく。どんな内容が増えていくのか、私自身もちょっぴり楽しみにしています。 (構成=内山靖子、撮影=藤澤靖子)
中野翠
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