改善の第一歩は「認める」ことーー「原因不明」のイップスに、医科学的エビデンスで挑む
「イップス」とは主にスポーツ選手がかかる、当たり前のようにできていた動作が突然できなくなる症状をいう。長くメンタルの弱さが原因だとされてきたが、そこに脳の働きを指摘する研究者が現れた。プロ野球投手の体験とともに紹介する。(取材・文・写真:菊地高弘/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部、文中敬称略)
ある日突然、ボールが投げられなくなる
「『手に油でもついてるのか?』というくらい、ボールが滑る感覚しかないんです」 中日ドラゴンズの福谷浩司投手は6年前、マウンド上で増幅する焦燥感を必死に隠し、自分の感覚と格闘していた。 滑り止めのロジンをいくらつけても、ボールが滑るような気がしてならない。大学卒業後に2012年ドラフト1位で入団した福谷は、プロ3年目からこの感覚に悩まされていた。症状は徐々に悪化し、次第にボールを制御できなくなっていった。 なぜボールが滑ると感じるのか。福谷は書籍を読み漁り、「イップス」であることを自覚した。 イップスとは何か。2001年に『Journal of Sports Sciences』に掲載されたスポーツ心理学博士のマーク・ボーデンらによる研究論文には、このような定義が載っている。 〈イップスとは自動化された動作の遂行障害である〉 何も考えなくてもできていた動作が、ある日突然できなくなる。もともとはゴルフ競技で使われていた言葉だったが、今や野球など他のスポーツでも多用されるようになった。 福谷は自身の人生を振り返り、イップスの引き金になった出来事に思い当たった。中学時代、内野を守っていた福谷は一塁に高く抜ける悪送球をした。折り悪く、ボールが向かう先にはチームメートの姿があった。 「後ろにいたチームメートに当たって、大ケガをさせてしまったんです。それ以来、しばらくは人が後ろにいると投げられなかったですね」
ジュニア期に生まれたイップスの芽。プロの世界で重要な場面を任されるようになってその芽は徐々にふくらみ、もう抑えきれなくなっていた。福谷は「リリーフ失敗のプレッシャーから、どんどん『投げられない』という恐怖心が広がっていった」と振り返る。それまでリリーフ投手として活躍していた福谷の成績は、たちまち悪化していく。 「もともと守備は得意ではなかったんですけど、ピッチャーとして『ホームには投げられる』という割り切りがあったんです。でも、そのうちに相手がどこにいようが、どんな状況だろうがボールをちゃんと投げられる気がしなくなっていたんです」 プロ野球は最上級の技術を持ったアスリートの集まりである。「投げられて当然」という目で見られる集団にあって、福谷のイップスは同僚から理解してもらえなかった。 「『なんでできないの?』という言葉で自信をなくし続ける日々でした」 福谷はイップスに苦しんだ時期を振り返る。「メンタルが弱いから」という声も聞こえ、また自分自身でもそう思い込んでしまった。