「わがままな障がい者」と言われ炎上。それでも発信を続けて、つくりたい世界とは?
原因不明の病気である日突然、障がい者になってから「障害があっても住みやすい世の中に、誰かが変えてくれたらいいのに」とずっと思っていた。そう思っているだけでは、なかなか進めなかった。 【画像】「わがままな障がい者」と言われ炎上。それでも発信を続けて、つくりたい世界とは? 自分の発信が何かを変えるきっかけになるのなら。誰かの勇気になれるのなら。 そんな気持ちを勇気に変えて、行動する車椅子インフルエンサーを取材しました。 【取材した人】 車椅子インフルエンサー 中嶋涼子さん 1986年東京生まれ。38歳。原因不明の病気で9歳から車椅子ユーザーに。高校卒業後、アメリカに留学。帰国後、通訳や会社員を経て、31歳から車椅子インフルエンサーの活動をスタート。 YouTube動画、講演、SNS、テレビ出演などを通して、社会や人の心をバリアフリーにしていけるよう発信中。憧れの人は安室奈美恵さん
9歳の時に突然、車椅子に。 「かわいそう」と 見られるのが辛かった
「子どものころの私はスポーツ少女でした。だけど小3の冬、学校の休み時間に鉄棒で遊んでいて地面に着地した瞬間、歩けなくなって。大きな病院で治療や検査をしても下半身まひの原因ははっきりせず、脊髄の炎症による横断性脊髄炎と診断されました」 突然始まった車椅子生活。何よりつらかったのは人の視線でした。「車椅子で外に出るとチラチラ見られるのが、いやで恥ずかしくて。かわいそうって思われてると思い込み、家に引きこもるようになりました」 そんな中嶋さんを救ったのは、友達に誘われていやいや観に行った映画『タイタニック』。 「主演のディカプリオにひとめぼれ。困難に立ち向かうストーリーにも心を揺さぶられて11回も観に行くうちに人の視線にも慣れて、アメリカで映画を学ぶ夢ができました」 高校卒業後に渡米。大学の映画学部などに通い、8年間過ごしました。
自分も誰かのために発信できる? 車椅子の友達ができて、 考えが変わった
「アメリカは車椅子ユーザーが多くて、街の人たちもフレンドリー。『手伝おうか? 』と気軽に声をかけてくれて、障害を意識せずに暮らせました」 しかし帰国後は再び孤独に。「周りに車椅子の人はおらず、夢だった映画関係の仕事に就いても職場になじめず、もっと生きやすい社会に誰かが変えてくれたらいいのにって思っていました」 そんなとき、SNSを通じて音楽活動など好きなことを自分らしく楽しむ車椅子の女性たちに出会い、価値観が変わります。その後、意気投合した3人で車椅子のガールズユニットを結成。 「ステージで、歌ったり障害のことを話すのは初めて。すごく緊張したけどお客さんが笑ってくれて、障害のある方々から『勇気が出ました』と言ってもらえたのが嬉しくて。 私は今、映画の仕事より、車椅子ユーザーのことをもっと知ってもらって壁がなくなるような活動をするべきなのかなと考えて会社を辞め、インフルエンサーとして活動することに決めました」