『フェラーリF360モデナ(2003年~2004年)』NSXのノウハウも注ぎ込まれた童夢製フェラーリ【忘れがたき銘車たち】
モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは2003~2004年の全日本GT選手権 GT300クラスを戦った『フェラーリF360モデナ』です。 【写真】2003年の全日本GT選手権第7戦オートポリスを戦ったJIM RodeoDrive アドバンF360 * * * * * * スーパーGTの前身である全日本GT選手権(JGTC)。今回紹介するフェラーリF360モデナは、いまからおよそ20年前の2003年からJGTCのGT300クラスに登場したマシンである。 そもそもF360モデナ自体は、2000年よりGT300クラスへとエントリーしていた。ただ、今回扱う2003年にJIMゲイナーが投入したその車両は、それまでとはまったく異なる、いちから設計されて生まれたマシンだった。 このJIMゲイナーのF360モデナを設計したのは、レーシングカーコンストラクターの童夢であった。当時の童夢は、JGTC GT500クラスを戦うホンダNSXも開発しており、空力やシャシーなど各部へその開発で得たノウハウが注ぎ込まれてF360モデナの車体が作り上げられた。 そのNSX譲りの車体には、F360モデナの先代であるF355に採用されていたエンジンを搭載。あえて排気量も出力も劣るF355のエンジンをチョイスしたのは、約300馬力に調整されるリストリクター規定を考慮してのことだった。 童夢製フェラーリF360モデナは、2003年の開幕戦TIサーキット英田(現・岡山国際サーキット)ラウンドでレースを戦い始めると、2戦目の富士スピードウェイ戦では早くも4位入賞を果たす。さらに第7戦のオートポリスでは、ポールポジションからレース最終盤までトップを快走してみせた。惜しくも最終周でスローダウンを喫し、優勝とはならなかったものの、初年度からそのポテンシャルの高さを見せつけた。 翌2004年になるとJIMゲイナーは、F360モデナを2台体制にして参戦。するとそのうちの1台が開幕戦のTIサーキット英田で初優勝を記録し、その後も2台合計で3度の3位を獲得し表彰台に登った。最終的にはドライバーズランキングにおいて、10号車を駆った田中哲也と余郷敦が3位につけてみせる活躍を残した。 デビューから2年、前述の戦果を挙げた童夢謹製のF360モデナは、シリーズがスーパーGTと名を変えた2005年以降もGT300クラスでの活動を続けていくのである。 [オートスポーツweb 2024年12月31日]