【光岡 M55】子供の頃に憧れた国産GTを思い出して---開発者が語る
光岡自動車は創業55周年記念車、『M55ゼロエディション』を発表。2025年生産分として100台限定で販売する。なぜこのクルマが生まれたのか、その特徴は何か。各担当者に話を聞いた。 【画像全24枚】
◆55年生きてきて
ターゲットは1968年創業の光岡と同じように55年の人生を歩んだ人たちだ。感受性豊かな少年少女時代に体験した様々な出来事やその時代感覚をベースに、当時の夢や希望に満ちあふれ、先の未来を変える大きなエネルギーの中、時代を駆け抜けた人々のマインドを形にしたのがこのM55である。
M55の企画は2021年秋にスタート。『バディ』がヒットして納車が2から3年待ちの状態であり、「生産現場ではバディの増産に追われ、いまをどう乗り切るかに注力していた時期」と話すのは、同社執行役員ミツオカ事業部営業企画本部の渡部稔本部長だ。また、4代目となる『ビュートストーリー』のデビューが決まっていたころでもある。
そこで次の商品企画をどうするか。「この状況なので次の商品はいつ出せるのか、次は何を出したらいいのか、バディを超えるものはもう生み出せないのかもしれない」と思い悩んでいたそうだ。
街を眺めると圧倒的にSUVが多く、一方国産セダンが絶望的に少ない。そこで「次もSUVでいくべきかと悩んだ」と渡部さん。しかしふと疑問が湧いた。「街中にあふれるSUVは子育てを終えた夫婦二人で使う分には持て余してしまうのではないか」。そこで、「子育ても終わり、仕事も家庭も全力投球で歩んできた世代に、この先の人生、もっと気分を上げて楽しめるクルマがあってもいいんじゃないか。SUVではない何かを別のテーマのワクワクを、この世代は望んでるんではないのかと思い始めた」という。
ちょうど創業55周年記念企画を検討するタイミングでもあったことから、冒頭に記したターゲットに絞り、M55の企画がスタートした。
◆憧れの国産GTを
渡部さんはこの企画をデザイナーに伝えた内容は、「次はセダンで行きたい。光岡と同じ時代を生きてきた世代に届けたい」。また、「子供の頃に目にして憧れていたクルマたちはどれもアメリカのデザインの流れを汲んでおり、アメ車のオマージュが息づいていた。その頃の夢と希望に満ちあふれていた元気な頃の日本、その象徴である当時の少年少女が憧れたGTカーを作りたい」というものだった。