【コラム】“絶滅収容所”のチェリスト 50年間の沈黙~ホロコースト生存者が今、ガザの惨劇に思うこと~【ロンドン子連れ支局長つれづれ日記】
かつて600万人が犠牲になったナチス・ドイツによる大量虐殺「ホロコースト」。そのホロコーストを生き延びたユダヤ人の女性チェリストは今、パレスチナ自治区ガザ地区で起きていることに何を思うのか。“絶滅収容所”を生き抜いた98歳の女性が語ったこととは。 (NNNロンドン支局 鈴木あづさ)
■数少ない生存者…「これが人生最後のインタビュー」
アニタ・ラスカー・ウォルフィッシュさんは、ホロコーストの記憶を自らの言葉で語る、数少ない生存者の一人だ。 ロンドン市内の自宅を訪ねると、出迎えてくれたアニタさんを見て驚いた。御年98歳。言葉によどみはなく、頭の回転も速い。片時もたばこを手放さず、歩行器こそ使っているものの、身のこなしはかくしゃくとしている。 「あんまり熱心だから受けたけど、これが人生で最後のインタビューよ」 戦後、世界的なチェリストとして活躍したアニタさんの部屋には、チャールズ国王(当時は皇太子)との2ショット写真など、貴重な記念品が所狭しと飾られている。思わず見入っていると、「触ったら必ず元に戻すこと、いい?」と厳しい声が飛び、背筋が伸びた。
■“絶滅収容所”で命を賭けたオーディション
アニタさんは1943年、18歳で収容所に送られた。裸にされ、髪をそられて丸坊主にされ、腕に収容所番号の刻印を入れられたという。そしてその後、命を賭けた最初の「選別」に臨む。 この「選別」で“働けない”と判断されたおよそ8割の人は「ガス室」に送られる。「ガス室」とは、シャワー室にみせかけて天井から毒ガスを投入し、一度に多くの収容者を殺害するために造られた施設だ。 『このままいけば、自分もガス室送り…』と絶望したアニタさん。だが戦前、ナチス政権下のベルリンでチェロを学んでいたアニタさんは、オーケストラへの入団オーディションを受けることができた。 アニタさんは、オーディションを無事通過。収容所唯一の女性オーケストラに参加することになった。収容者が朝晩、仕事場と行き来する際にチェロを弾き、日曜日の午後にはSS(ナチス親衛隊)のためにコンサートを開いた。