【コラム】“絶滅収容所”のチェリスト 50年間の沈黙~ホロコースト生存者が今、ガザの惨劇に思うこと~【ロンドン子連れ支局長つれづれ日記】
■“死の収容所”で音楽が演奏された理由
出迎えてくれたのは、アウシュビッツ公式ガイドで、アニタさんをよく知るレナータさん。レナータさんは、収容者が全身の毛を剃られ、収容所番号を入れられたバラックを案内しながら、こう語った。 「ここでナチス親衛隊は日曜日の午後、アニタさんたちオーケストラが演奏するコンサートを楽しんだんです。収容所の子ども達に非人道的な人体実験を繰り返した、あの悪名高いヨーゼフ・メンゲレ医師もいました。シューマンの『トロイメライ』を目を細めて聞いていたんです。彼はオーケストラの練習も聞きに来ていたほど熱心でした」 そして、バラックを見つめて言った。 「皮肉なことに、こんな状況でも人間は人間であろうとするんです。人間らしくあるために、音楽を必要としていたんです。信じられますか? ここでは、『音楽』と『虐殺』が共存していたんです」
■「世界はまだ学べていない」
最後に訪れたのは、アウシュビッツのガス室と焼却炉だった。収容者を大量殺りくするための毒ガス「チクロンB」が投げまれた穴を見上げながら、レナータさんは言った。 「この場所には、いつまでたっても慣れることができません。いつ来ても、まるで初めて来る場所のように戦慄を覚えます。辛い仕事です…」 それでもガイドを続けている理由を聞くと、レナータさんはしばらく考えた後、決然とした表情で言った。 「私たちはこうした場所から学ばなければなりません。人間とはどういうものか、世界はまだ学べていない」 私はその時、強制収容所に入れられたユダヤ人心理学者ヴィクトール・E・フランクルが著書『夜と霧』の中で書いていた言葉を思い出した。 「わたしたちは、おそらくこれまでのどの時代の人間も知らなかった『人間』を知った。では、この人間とはなにものか。人間とは、人間とはなにかをつねに決定する存在だ。人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ」 (『夜と霧』新版 ヴィクトール・E・フランクル 訳:池田香代子 みすず書房)