「街を世界最先端のインクルーシブ社会に」ーー障がい当事者の提案が生んだ茨城県つくば市の変化 #令和の人権
また、障がい者の社会参加を目的とした改革も実現。これまでタクシー利用に限られていた助成制度を公共交通機関で利用可能なICカードとの選択制とした。それにより、タクシーか鉄道・バスなどの公共交通機関か、ニーズに応じた移動手段を障がい者自身が選びやすくなった。スマートフォンやタブレット端末を利用して遠隔地でも手話通訳を受けられる「つくば市遠隔手話サービス」、さらには市内のバリアフリー基本構想の作成も実現させている。 つくば市は人口25万人余り。2023年には人口増加率が全国の市・区で1位となった。その発展する「科学のまち」で当事者、家族、さまざまな職を持つ市民がチームとなって、障がい当事者の困りごとに向き合い、小さな、しかし具体的な改革を積み重ねていく。そして街全体を世界最先端のインクルーシブ社会にしていく。それが、「障害×提案=住みよいつくばの会」の役目だ。
参加者の声「数年かけて提案を練り上げ、選挙にぶつける」
つくば市議の川久保皆実さん(38)は2020年の市議選で初当選し、この会に加わった。子育てをしながら活動を続け、提案の実現を後押ししている。 「この会では、障がいのあるなしに関係なくフラットな立場で語り合えるんです。こうした仲間ができて良かった。互いに尊重し合い議論を積み重ね、理解がより深まっていくのを感じます」
会の立ち上げから参加する徳田太郎さん(51)は、プロのファシリテーターとして全国でワークショップを開催し、一人ひとりが意見を出し合える場をつくってきた。その目に「障害×提案」の活動はどう映っているのだろう。 「2カ月に一度集まり、数年かけて提案を練り上げ、選挙にぶつける。すごい仕掛けですよ。ここでは特定の人が物事を決めたりしません。みんなで考え、決めて、実行する。医療的ケアや手話通訳を必要とする方、脳性麻痺の方もいる。私はそれぞれの特性を踏まえて議論のペースを調整し、全員が参加できるよう心掛けています」
自分たちの暮らしは自分たちで決める
「障害×提案」を引っ張る前出の斉藤さんは1994年、筑波大学への進学を機に郷里の青森県からつくば市にやってきた。 青森時代は養護学校に通い、中学・高校とも寮生活。高校卒業後の進路を考えるとき、選択肢は限られていた。家族の介助を受けながら自宅で過ごすか、施設への入所か、思い切って進学するか。 「親は忙しいし、自由のない施設は絶対嫌でした」 考え抜いた末、障がい学生へのサポートがあり、受け入れに積極的な筑波大への進学は「消去法だった」と振り返る。そして、この選択が斉藤さんの人生を大きく変えた。斉藤さんの暮らしをサポートしようと行動する、エネルギーにあふれる仲間たちと出会ったのだ。 「サークルなどで出会ったボランティアはみんな介助の素人だけど、エネルギーがあって無鉄砲で。若者のノリと勢いで一歩を踏み出しました」 障がい者が地域で普通に暮らす。それまでは考えたことのない選択だった。2001年には、斉藤さんは他の障がい者やボランティアの仲間たちと「つくば自立生活センターほにゃら」を立ち上げた。現在、斉藤さんは事務局長。地域で暮らす障がい者を支えるため、介助者の派遣、権利擁護活動など忙しく働く。 この「ほにゃら」は「障害×提案」の会と共に、つくば市でのインクルーシブ社会実現を目指す車の両輪だ。 ほにゃら事務職員の生井祐介さん(47)は「ここに入って人生が大きく変わった」と話す。小学生の時に発症した関節リウマチが悪化し、大学卒業後に両膝と股関節を手術した。その後に知人から紹介されたのが斉藤さんだった。アルバイトをしたいと、ほにゃらの事務所に電話すると、電話口の職員から「斉藤は今、ワールドカップを見にドイツに行ってます」と告げられた。 「びっくりしましたよ。重度障がいのある車椅子の人が海外に行くなんて。すごいとこに電話しちゃったなって」 そう振り返る生井さん自身、ほにゃらの活動に関わるなかで、生き生きと活躍する何人もの障がい者たちと出会う。「まさか自分も海外に行くことになるなんて、自分でも驚いています」。自身も大きく変化したのだ。